幻影の主人、奴隷の欲望
「嘘も百回繰り返せば本当になる」
(ナチス宣伝相、ヨーゼフ・ゲッベルス)
「宣伝の驚くべき力。
われわれは、最上等のチョコレートはどこそこのチョコレートである、
と百回も読んだときには、そういう噂をどこかで頻々と耳にしたような
気がして、遂にはいつのまにか、堅く信じてしまうようになるのだ。
またどこそこの粉薬が、錚々たる人物たちの病を治したとの
証言を千回も聞けば、いつしかそれを信じ、われわれ自身が
病にかかった暁には、その粉薬を試してしまうことになる。
甲は不埒極まる破廉恥漢であって、乙は極めて誠実な人である、
ということが同じ新聞に繰り返し述べられていれば、
われわれはこの二人の人物を指す形容詞がそっくり入れ替わっている
反対意見の載った新聞を同じように読んでいなければ、
最初の新聞に書かれていたことをいつのまにか信じこんでしまうのだ」
(ギュスターヴ・ル・ボン「群衆心理」)
「宣伝(プロパガンダ)の課題は、たとえば種々の権利を考慮することではなく、
まさに宣伝によって代表すべきものをもっぱら強調することにある。
宣伝は、それが好都合であるかぎり、大衆に理論的な
正しさを教えるための真理を客観的に探求すべきではない。
宣伝はたえず宣伝側に役立つものでなければならない」
(アドルフ・ヒトラー「我が闘争」)
「人間たちは、食べたり飲んだり眠ったりするのと同様に、
指導されることを欠くことができない。
人間は政治的動物としての欲求、つまり組織への欲望、
秩序と指導者を求める欲望を持っているのである」
(フランス大統領、シャルル・ド・ゴール)
「NHKスペシャル 情報聖戦 〜アルカイダ 謎のメディア戦略〜」
を見ていたのですがですが、凄く…驚愕…衝撃を受けた…。
アルカイダはプロパガンダに力を入れ、各種メディア戦略をとても重視しており、
テロリズムの拡大の為に、マスメディアを巧みに使っているということを、
メインテーマに取り上げている番組なんですが…、ラップ調の非常に
エンターテイメント性の高いミュージック・クリップ風テロ讃美ムービー
(ジハード・ビデオ)とか、エンタテイメント性の高いプロパガンダメディア
がイスラムの若者の間に、色々な種類で沢山出まわっているということで…。
実際に放映していましたが、………凄く吃驚したのは、それらは
エンタテイメント・プロパガンダとしてとても良く出来ている。
しかも、製作センスが明らかに「西側諸国のエンタテイメント」と同質…。
なんというか…このプロパガンダのやり方って、
完全に西側、民主主義・自由資本主義でのプロパガンダ手法ですよ…。
これを一言で表せば、『コマーシャリズム』
イスラムの若者を行動へと駆り立てるのも、西側諸国や日本の
若者を行動へと駆り立てるのも、電通や博報堂が代表するプロパガンディストたち…。
「古い欲望を減衰させ、新しい欲望を常に煽りたて続けること、
攻撃的な広告、宣伝によって消費者の必要充足の
仕方と度合いに大きく影響を与えてゆくこと、
それが資本主義における必要充足の本質的な手法である」
(マックス・ウェーバー「経済と社会」)
なんというか…絶句…。ある意味、彼等(テロリスト側)の
思考・感情・手法が我々(西側諸国・日本)と同じだということですよ…。
「幻影でわれわれは己を欺いている。
しかも人に金を払って、己を欺く為の幻影を創り出してもらうのだ」
(ダニエル・ブーアスティン「幻影の時代」)
我々(西側・日本)は金を払って自ら騙されることを望みますが、
イスラム側も同じく、命という金を払っても自ら騙されることを望んでいる…。
…そして、このやり方、ジハードにイスラムの若者が熱狂するのは、
西側・日本の若者たちがカリスマアイドルに熱狂したりするのと、何ひとつ変わらない…。
両方とも同質の『飼い馴らされた人間』………。
………。これは、彼等(イスラム側)は我々と違うということよりも、
我々と実質的に同じであるということ、ゆえにますます持って根の深いことに感じる…。
つまり、実質的に同じもの同士が同じやり方で戦っているということは、
この戦いはおそらく永遠に続くであろうと予感させるということですよ…。
「幸い、この国では言論の自由が認められています。
法律に従って、(プロパガンダ)ビデオを販売することが出来るのです」
(イギリスで広報活動を行うアルカイダ・プロパガンダ担当者)
「これ(テロとの戦い)は、コミュニケーション戦争です」
(アメリカ国務省高官)
…ダメだ…アメリカは、アルカイダ側のプロパガンダに同じく
プロパガンダで対抗しようとしているけど、もう同じ土俵に
載っちゃっている訳で、これでは…戦いに勝てないよ…。
絶望的だ…ニーチェが指摘した通り、多くの人間には支配されたいという
隷従することへの欲望が渦巻いていて、それがある限り、戦いは終らない。
この欲望を冷然と見抜いた指導者は圧倒的力を発揮する。
それは例えばアドルフ・ヒトラー。
そして、この人々の欲望は根絶できない、
それどころか、多くの人間はこの欲望を制御することすら望まないだろう。
なぜなら、主人として高貴に生きるより、
奴隷として堕落して生きる方が、
何も考えずに生きられ、前者より楽だからだ。
私は主人として生きることを選び取った人間だが、それゆえに
………高貴さを持てない無数の人間という畜群存在に対し、絶望する。
「人間に、なにものにも支配されたくない、という気持ちが最大限に
強かったならば、あきらかに世界は、今日、我々が認識する世界とは
まったく別の様相を持った世界となっていたことだろう」
(セルジュ・モスコヴィッシ著「群衆の時代」)
絶望だ…。人間の愚かさの宿業を前にしたとき、外部のどこにも、出口は見えない…。
せめて、畜群に飲まれない様に生きることを内部に覚悟するしかない、
支配を受け入れず、高貴に生きることを己に覚悟する。ただ、それしか道はない。
「人間が存在する限り、全ての時代において、
畜群(隷従を望む人間たち)も、また存在した。
血族団体、部族、民族、国家、教会。
そして常に、少数の命令者に対して非常に多数の服従者がいた。
――従って、人間にあっては服従ということは、
これまで極めてよい具合であり、
また極めて永い間に渡って、訓練され、育成されてきた。
それらを鑑みて、当然、次のように前提して差し支えない。
すなわち、平均して、現代では誰でも、一種の『良心』として、
『汝、何事かを無条件に為すべし、何事かを無条件に為さざるべし』
と命じるもの、要するに『汝、為すべし』と命じるものに対しての欲求を
生まれつきに持っている」
(フリードリヒ・ニーチェ「善悪の彼岸」)
参考図書(amazon)
アドルフ・ヒトラー著「我が闘争 上巻」
アドルフ・ヒトラー著「我が闘争 下巻」
平井正著「ゲッベルス―メディア時代の政治宣伝」