
ゲーム評「夜勤病棟3」ロリっ子女王様との極限の交感−如月ひより様−
人生を価値あるものにするのは享楽だけだわ。
(マゾッホ「毛皮を着たヴィーナス」)
先日購入した雑誌、
「Voice-type
vol.10」(男性マゾ系エロゲ特集号。今号は
マゾヒストエロゲーマーにとって神の如き雑誌)
上記雑誌に載っていたマゾ系作品で、まだ未プレイの作品を
プレイしようと思い、夜勤病棟3を買ってきました…。
そして、………私は出会った。如月ひより様に――!!
私はマゾヒストなので、サディスティンな女性はとても好きですが、
その中でも、今までの私にとっての最高峰に位置する女神は、
大いなる主、風祭子猫様であった――
例えば、遠子さまは私にとって素晴らしい女神であることは事実ですが、
やはりどうしても越えられない壁、真にして神なる崇高の後光の輝きの
向こうに、コケティッシュな窮極のロリ女王様たる子猫様はいらっしゃった…。
だが…。夜勤病棟3をプレイして如月ひより様に出会い、私は………
私は………、このような言葉が子猫様から懲戒の仕置を受けるのを
承知で、こう言紡がざるを得ない――子猫様を超える、永遠を感じたと…。
如月ひより様――あああああ!!
子猫様に匹敵、そして…更なる…我が主、如月ひより様は、
なんと云いますか…子猫様と同じく、天性のサディスティンの魅力の主。
我が極限を越える女神達、
如月ひより様、
風祭子猫様、
アリステル・レステル様
この三方は、私にとって全てを超える三大女神なる御方。
私は今回ひより様と出会い、三女神との交流から
ついにマゾヒズムの快楽における窮極の真理、
大いなる女神の真髄なる魅力についに触れ得たと信ずる…。
真なる女神達に共通すること、それは一切の桎梏から自由であり、
なにものにも縛られず、ただ、能動的に歓びだけを追求している、
真なるドミナント、ご主人様であること――!!
これはとてつもないことで、つまりは幼子であり、
良い意味で野性の動物であるということ。
私達はいつも関係性の鎖、無数の鎖にそれこそ繋がれている。
フィフティフィフティ、何かをやったら何かをお返しする、予め先々の
ことの為に準備として何かを行っておく、様々な関係性の網の目は、
時間と空間のスケジュール表となって、我々の意識を拘束する。
そういったもの一切から解き放たれた場所、子供の心の場所に、
私の愛する女神様達は存在している。それは、意志の侭の自由の世界。
それは、天真爛漫であり、我侭放題であり、純粋であり、身勝手であり、
打算利害に惑わされず、無鉄砲無計算であり、反社会的であり、神的である。
窮極のボヘミアンとして、ロリ女王様達――我が真髄の女神達は存在している。
ボヘミア的精神とは、「明日のことは考えるな」という理念を生活の信条とする
精神を指している。「ボヘミアン」とは、この生活信条の実践者である。
したがってその行動と言説は、社会的約束を踏みにじって先へと進む
ことは必定である。ゆえに幼児は、自体でこのボヘミアンである。
幼児の行動は、社会的約束に患わされることなく、また「明日のこと」を
かんがえてなされていない。いわば「聖霊」の声の無媒介な具現である。
だからクリストは〈幼子の如くなれ〉といった。
そうしなければ、天国に入ることはできないといった。
(芹沢俊介「芥川龍之介の宿命」)
そして、私はそういった、無垢な動物的な娘に支配されて、
そして、一切の桎梏から解放され、無垢な動物となることを望んでいる。
ついに自らの真髄的なものに、触れ得た心持ちです…。
先日、「プリンセスうぃっちぃず」と云う作品の初回版に付いてきた
「パティシエなにゃんこ」と云うなかなかに面白い作品をコンプしたのですが…。
「パティシエなにゃんこ」のメインヒロインのミオは動物の猫
(正確には猫が魔法で人間の姿をしている)なのですね。
猫の変化である彼女は、身勝手で我侭で、主人公に大変な迷惑を掛けるのですが、
どうしても憎めない娘、寧ろ、そんなところを彼女と接している内に愛してしまう。
それはその行為と感情が余りにシンプルでダイレクトで、裏表なき、
自然の直接的表現で、思わず顔がほころんできてしまう素直さに溢れているから。
「わがままでいいんだもーん」
(ミオ。「パティシェなにゃんこ」)
天真爛漫のミオに人間社会の常識は通用しない。
きっと総理大臣………いや、アメリカの大統領の前でさえ、
きっとこんな(無邪気で我侭で素直な)感じなのだろう。
でも、その素直さがあるからこそ、
お客さんの笑顔を引き出せたに違いない。
(「パティシェなにゃんこ」)
私は猫が大好きです。理由は猫という奴が、実に淡々たる
エゴイストで、忘恩の徒であるからで、しかも猫は概して
忘恩の徒であるにとどまり、悪質な人間のように、
恩を仇で返すことはありません。………
人間にだって(関係性の桎梏に囚われない)猫的素質
は豊富にあって、ただそれが世間に対する思惑から
隠されているだけのことですから、同じことなら、この
猫的素質を善用したほうがいいのです。………
恩返しは人生を賃借関係の狭い枠のなかに引き戻し、
押しこめて局限してしまう。それに比して、猫的忘恩は、
人生の夢と可能性の幻影を与えてくれるでしょう。
(三島由紀夫「不道徳教育講座」)
猫的な、幼子的な、関係と時間軸に囚われない素直さは、
感情が腹に貯まらずに真直ぐに素直な行為となるので、
例えそれが攻撃的な行動であっても、決して嫌味だったり、
後に尾を引くような恨みぶしは全くない。
泣いてたカラスがもう笑った。明日は明日の風が吹く魂。
何事も未来に引き摺らず、過去に縛られない、今に生きる無邪気さ。
その無邪気は、全ての行動を、どんなものであれ爽快な清々しさに溢れさせる。
夜勤病棟3において、主人公の「空」はルサンチマンの塊のような男で、
そのルサンチマンを気力の発動機にして行動しているのですが、
それは、他のヒロインに対しては力で制圧する”凌辱”と云う形に
なり、ヒロインにルサンチマンをぶつけることで彼は実はより深い
ルサンチマンのループに嵌っているのですが、如月ひより様との
日々だけが、そのループの桎梏から抜け出している。ひより様は、
自律していることで、主人公のルサンチマンに飲まれない。
ひより様は、自分が楽しいこと歓ぶこと嬉しいことだけを、大切に
していて、主人公をその世界に取り込んでしまう。
彼女は主人公の行動を、それが楽しいことなら完全に無定見に
受け入れるし、彼女自身の感情に自然に素直に行動している。
彼女は、性的な受けよりも性的に責める方が楽しいから、責め側に
積極的になるけれど、それはあくまで「楽しむ」為であって、主人公のような
ルサンチマン的な意志とは全く異質な意志として行為が現われている。
主人公はその意志に取りこまれていく。ルサンチマンで動いていた
主人公は、他のヒロインには酷い行動を行えるが、天真爛漫で
無邪気なひより様にだけは、彼女の魅力たる無邪気さを失わせること
を恐れてどうしても、ルサンチマン的な行動をぶつけることができない。
そして、いつしか、主人公自身も、楽しいことの求道者、ひより様の
同士となって、支配的であることを望む、ルサンチマンから現われる
固定観念的な意識(男権的プライド)を変化させ、快楽の求道者として、
ひより様に責められる快楽を快楽の一つとして素直に受け入れ、
自ら楽しいこと楽しむことが行動の発力となってゆく…。
ひより様の力は、まさに女神の力――幼子の力。
幼子は無垢であり、忘却である。新しい始まりである、遊びである。
みずから回りいずる車輪である。第一の運動である、聖なる肯定である。
そうではないか、わが友よ。創造の遊びには聖なる肯定を必要とする。
かくして精神は、いま、みずからの意志を意志するようになる。
世界を喪失していた者よ、いま、みずからの世界を獲得する。
(ニーチェ「ツァラトゥストラ」)
私が、女神として真に魂を委ねる力を感じるのは、先に挙げた主な娘達は、
みんな、これを、魂の純潔な光を持っている娘達だ…。
例えばドミナントなロリっ子においても、全て好きになる訳ではありません。
ドーターメーカーのメインヒロインである宮内篠とかは、
私はどうしても好きになれない部分があって、それは、彼女は確かに
ロリっ子女王様ですが、それでも彼女自身は外部に支配されている
娘なのですね。彼女は今の歓びの為ではなく過去の怨恨に
支配されていることが、彼女の行動を律している。
彼女は結局のところ、関係性に縛られ他律的に生きている…。
私が好きな娘は、ただ”今”に”自分”に生きていて(真なる自律)、
そしてその娘の今の歓びの為に私が道具として使われるとき、
私もその娘を今の快楽の為の道具として使い、そこには
愛とか恋とか、そういった関係性と時間軸に支配されたような
意味合いが一切無化した本当の交感関係が現出する。
それは光としか云いようのないもの――純白の輝き。
その時、本当に、魂と魂が同色の光を発して一なる世界を生め尽くす。
ロリっ子女王様とのSM体験における、真在る輝きの正体が、掴めたと感じる。
全ての時間軸の関係性と断ち切って、今の瞬間の自らの快楽の為に
互いに道具となりあって行為するとき、関係性の鎖が一切消滅した、
互いの魂のみ同士が、素直に交感する瞬間を迎える。
これは、男性側、関係性を自らの主体の主従の主側の
素因としてのアイデンティティとする男性側には極めて到達しにくい、
というか社会構造的に男性が主では不可能な領域であって、
ロリっ子=無垢なる野性の動物っ子に主側として男性側が歓びの道具化
されなければ現出することの出来ない、神的な、奇跡的な瞬間の現出。
コミュニカシオン――バタイユの云っていたことが、毛皮を着たヴィーナスの
言葉が、始めて腑に落ちた――”魂から分かる”としか云いようのない体験…。
最後の勇気――忘却すること、絶望の無垢に、その陽気さへ戻ること。
(バタイユ「内的体験」)
そんな体験を、私は如月ひより様の下僕となることで、
完全に感得したのです…ひより様に踏まれながら、
窮極の理を覚った…。真の、交感、魂の交感を、覚った…。
ひより様…。
我が魂はあなたのもの――そは天国と成る魂の委託。
あなたの足で踏まれたい。
一生この腕にあなたを抱き上げていたい。

「フフッ……もう、おにいちゃんたら、あまえんぼさん」
参考作品(amazon)
ミンク「夜勤病棟3」
フリードリヒ・ニーチェ「ツァラトゥストラはこう言った」(上巻)
フリードリヒ・ニーチェ「ツァラトゥストラはこう言った」(下巻)