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くるくるくるっぴー!!\(^^)/
くるっぴー「JAL 日本航空」(amazon) くるっぴー「ANA 全日空」(amazon)
「トリビアの泉」空港で売っている飛行機のおもちゃは実際の飛行機が
落ちることはあってはならない為、落ちないように作られている。
この前、トリビアの泉で放送していた、絶対に落ちない飛行機おもちゃ「くるっぴー」
早速JALとANA、amazonで注文してたんだけど、今日、ついに届いたよ〜。そして………、
感動した!!
落ちそうになるとくるって可愛く回って、落ちないんですよ。凄い凄い凄い!!
これ作った人、マジ天才だなあ。いやあ、私こういう可愛いもの大好き!!!
くるっぴーがくるくるしながら机の上走ってるのを見ると、こう叫ばずにはおれない、

はにゃ〜〜〜〜ん!!!!!(*^^*)
参考リンク
テレビブログ「トリビアの泉 2006/05/17」(くるっぴーの回)
おかいものあんてな(くるっぴーはなぜ落ちないか、構造を分析されておられます)
くるっぴー公式サイト(くるっぴーを作っている株式会社丸彰さん。マジ天才!!)
参考作品(amazon)
くるっぴー「JAL 日本航空」
amazonで「くるっぴー」を検索結果(くるっぴーシリーズ)
今、俺はくるっぴーの公式サイトで紹介している「ブルーインパルス」が
メチャクチャに欲しいんだけど、amazonだと取り扱ってないね…。
どこに行けば買えるんだろ…秋葉の玩具屋さんとかで売ってるかな。
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超名言発見!!
ちょっと待ってほしい。ほとんどの男性にとって、これからあるかもしれない、
(まだ出会っていない)他の女性たちとの可能性をあきらめることは、
今現在他の女性たちをあきらめることと同じくらいに、つらいことなのだ。
多くの男性は絶対に誰にも悟られない無意識のところで、
いつの日か魔法のような力で世界的なプレイボーイになって、
世界一の美女と熱いセックスをすると信じている。
(デイビット・コープランド、ロン・ルイス「愛させる技術」)
涙が…止まらないよ…。ただ俺の場合は美女ではなく、世界一のエロゲヒロインとだけどね…。
ちょっと待ってほしい。ほとんどのエロゲーマーにとって、これからあるかもしれない、
(まだ出会っていない)他のエロゲヒロインたちとの可能性をあきらめることは、
今現在他のリアル女性たちをあきらめることと同じくらいに、つらいことなのだ。
多くのエロゲーマーは絶対に誰にも悟られない無意識のところで、
いつの日も魔法のようなエロゲの中で世界的なプレイボーイになって、
世界一のエロゲヒロインと熱いセックスをしている自分が本当の自分だと信じている。
元ネタリンク
中里一日記 デイビッド・コープランド、ロン・ルイス『愛させる技術』
参考図書(amazon)
デイビット・コープランド、ロン・ルイス「愛させる技術」
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浴衣のススメ −風と親しむ−
ラフカディオ・ハーン「妖怪・妖精譚」(思い出の記)(amazon)
浴衣はただ反物で見て居るだけでも気持ちがよいと申しました。
始めの好みは少し派手でしたが、後にはじみな物になりました。………
外出の時はいつも背広でございましたが、洋服よりも日本服、
別して浴衣が大好きでした。傘もステッキももった事はございません。
散歩の途中雨にあっても平気で帰るのですが、余り烈しいとどこででも
車を見つけて乗ってかえりました。靴は兵隊靴です。流行には全く
無頓着でした。『日本の労働者の足は西洋人のよりも美しい』と申しました。
西洋よりも日本、この世よりも夢の世が好きであったろうと思います。
(小泉節子(ラフカディオ・ハーンの奥さん)「思い出の記」)
今日(5/21)は妙に暑い日ですね…。雨よりは快晴の方が気持ちも
晴れやかになりますが、それでもちょっとこれは暑いよって感じで…(^^;
私は暑い時はエアコンとかつけるよりも、まずは服装でなんとかしようと
考えるタイプで、トランクス一枚でいればそれはそれで一番楽なんでしょうが、
例え家の中であっても、服装はある程度しっかりしておきたいと私は思うんですね。
どういう格好をしているかで、やっぱり心構えも全然違ってきますから。
勿論、家の中でまで、四角四角ばった堅苦しい格好をする必要は全然ないですし、
私もそんな格好をする気はない。なので、ゆったりリラックスできて、
涼しくて気持ちよくて、なおかつ身が引き締まる格好として、よく浴衣を着ています。
甚平という選択もあるのですが、私は裾のゆったりする浴衣の方が甚平よりも好みですね。
家の中での服装としては今もこんな感じです→「男だって浴衣が着たい!!」
浴衣は良いですよ〜。浴衣は通気性が凄く高いので、体にぴったりと張り付くタイプの
着衣が多い洋装に比べると、首、胸、腕、足、体全体に、風を感じるんですね。
これは、体全体にピッタリと張り付く洋装では感じられない素敵な着心地です(^^)
あえて洋装で浴衣に着心地が近いものを探せば、薄手のガウンローブになる感じですね。
ただ、私の感覚としては一番好きなのは浴衣ですね。ゆったりした、体を締め付ける
ことのない服を着ていると、心もゆったりした感覚になってきますよ。逆に背広とか、
ネクタイとか、ああいった服装は体を締め付けることで、心も締め付けているように感じる…。
私が思うのは、出来たら外にも浴衣を着てゆきたいな、ということですが、
ただ現代日本の場合、どこでも洋装がスタンダートなんで、実際に浴衣を着て
外に出られるのは、夏祭りの時とかのハレの時だけですね…。
私が昔の日本について書かれた本とか読んで、羨ましいなあ…と思うのは、
昔の日本、洋装が入ってくる前の日本の人々はみんな和装をしている、
それが凄く羨ましくて…。和装は通気性が高いですから、服装的には今の
日本の人々よりずっと、風と親しみながら楽に日々を過ごせたと思うんですね。
それに比べると、今は外を和装で歩くってなかなか大変ですからね…。
日常生活において日本のほとんどの人々は洋装をしている訳で、周囲と違った
服装(和装)をしているだけで、奇異に見られてしまいますから…。
私の夢としては、一度秋葉原を浴衣で歩いてみたいけど、やはりそんな
勇気はありませんね…。秋葉原は公道における警察の警備体制がかなり
厳重な街ですから、そこを浴衣で歩いたら、それだけで警察の人に、
「キミ、なんで浴衣で秋葉を歩いているのかね?」と職務質問されても
おかしくないし…。………。でも、自分の好きな街を自分の好きな和装で
歩くことができない(その勇気がない)というのは、やっぱり悲しいですね…。
秋葉原でその日はみんなが一日中、浴衣で歩けるハレの舞台(夏祭りとか
花火大会とか)やってくれると、凄く嬉しいんだけどな…。(もし秋葉で
そういった催しは既にあって、私がそれを知らないだけでしたらすみません)
浴衣は本当にいいですよ。女性の皆さんは浴衣を着たことがある方が
多いと思いますが、男性の方も、浴衣は女性のものとは思わずに、
男性用浴衣を一度着て見て下さいな、きっと素敵な着心地かと(^^)
浴衣は、素敵な奇跡なんですね〜。

参考作品(amazon)
ラフカディオ・ハーン「妖怪・妖精譚」(思い出の記)
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やっぱり神様なんていなかったね、と私達 −うん。観鈴ちん、強い子−
「やっぱり神様なんていなかったね」
なんか、私達人間存在って、「やっぱり神様なんていなかったね」の
羽村まこと(スケブを掲げて火の中に閉じ込められている子)と、
大きく見れば、あまり大差ないように、思う。
決して出られることのできない世界の中に私達はいる。
死も出られることではない。私は死は魂の無だと思っているから…。
それでも、出られないゆえに、ここで生きるしかない。
焔のなかで微笑んで、生きられるだろうか。
焔のなかで微笑んで生きたいと願い、意志し、
そしてなお、それを自然に為すことを目指せるのだろうか。
そんなことを、思ったよ…。
生きていたい、あらゆるものをもう一度見たい、
あらゆることをもう一度始めたい、
何もかももう一度やり直したい、という激しい願いが
不意に湧き上がってきた。
それは死に向かっての反抗であった。
自分は明け染めているこの朝の夕べをもう見られは
しないのだ、ということを認めることはできなかった。
この美しさ、この体、活発な思考、自分の肉体に宿る
はちきれんばかりの生命が、どうして燃え盛っている
さなかに存在することを止め、腐敗してしまうのか、
それがどうしても理解できなかった。
(ピエール・ルイス「アフロディテ」)
観鈴は、強すぎるよね…。強すぎるから、私の根源的な弱さが、
彼女に魅かれ、私は、彼女を愛しているのかも…。
参考リンク
魔王14歳の幸せな電波さん「やっぱり神様なんていなかったね」
参考作品(amazon)
KEY「AIR
Standard Edition」
アニメ版「AIR」(DVD)
ピエール・ルイス「アフロディテ」
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Where
the devil are my slippers? −ディレッタンティズムと独身主義−
ユイスマンス「さかしま」(amazon)
かくて早くも彼の心は、洗練された隠遁の地、心地良き無人の地、人間的愚かしさの
絶えざる氾濫を遠く逃れた、びくとも動かぬ、なまぬるい箱舟を夢みつつあった。
(ユイスマンス「さかしま」)
Smart晩婚講座「お姫様を待つ乙女系男子たち」
>結婚しない男たちはかなり「乙女系」でした。
………なんじゃこりゃ。
このコラムの執筆者は独身主義者や同性愛者や
バイセクシャルは無視ですかそうですか。
執筆者は映画「マイフェアレディ」を見て、その原作「ピグマリオン」
でも読んだらどうかと思いますね。
独身主義者ヒギンズ教授が乙女系なんて云ったら
…それはもしかしてギャグで云っているのか?ですよ。
少なくとも、オタな独身者は私も含めて内面的には
ヒギンズ教授のようなタイプが多いと思います。
ヒギンズのようなディレッタント系の人間はだいたい独身主義者です。
ユイスマンスの「さかしま」の主人公デ・ゼッサントなんかは典型ですが、
世間的な価値の拘束を逃れて、自分の自由、自分の愛好する
趣味嗜好に最大の価値を置いていて(趣味愛好主義、ディレッタンティズム)
それを最も優先する。全ては自己の愛する趣味嗜好の為にある。
私は、フォントネル・デ・ゼッサントのような人間を敬愛して共感するし、
ゆえに秋葉のオタ達も敬愛し共感する、また私自身にも誇りを抱いているよ。
(医師は)フォントネエ(デ・ゼッサントが自身の楽しみの為に
自身の手で作り上げた精緻な趣味の屋敷)における孤独の生活を
すっぱり諦めて、パリに戻り、普通人と同じ生活法を楽しむように
しなければいけない、と付け加えた。
「でも普通人が面白がることは、わたしにはちっとも楽しくないんですよ!」
とデ・ゼッサントは憤然として言い放った。………
彼は求めて自分を社会から放逐したのではないか。
彼と同じように、瞑想の裡へ引きこもり、夢想の裡へ閉じこもる
生活を愛している者が、果たして世の中に何人いるというのだろう。
繊細な文章や、精緻な絵画や、思想の精髄をよく鑑賞し得る者、
あるいはまた、マラルメを理解しヴェルレーヌを愛好し得る程、
際立って卓れた魂を持つ者が、果たして世の中に何人いるものであろうか。
自分と通ずる精神、俗物どもの間から一頭抜きん出た精神を求めて、
いつ、いかなる場所に彼は探索の手を伸ばしたらよいのであろうか。
それとも、沈黙を幸福のごとく、忘恩を慰めのごとく、不信を避難所または港
のごとくみなして、世の中に感謝せよとでも言うのだろうか?
(ユイスマンス「さかしま」)
今の時代は、デ・ゼッサントのような人間、
即ちディレッタント(好事家、趣味愛好者)が、
「オタ」としてそれなりに力を持っているので、
まあそれなりに暮らしやすいですね。
世間では結婚が当たり前とか、みんな結婚を望んで待っているとか、
そういう規範に独身オタもまた従っているという観点から独身の人間を
ひとくくりにしないで頂きたいものです。
私が本田透さんの著書が好きなのも、彼の強烈なディレッタンティズム
とそこから帰結する独身主義が、私にシンパシーを感じさせるからですし。
映画好きとして敬愛する淀川長治さんも、私にとって偉大な独身主義者ですね。
淀川長治(ウィキペディア)
一生涯独身を貫いたのは「結婚をしていないと映画の中の男の気持ち、
女の気持ちの両方がわかる」という、映画が本当に好きであることからの
選択であったと言われている。
男女の付き合いに関して私の考えとしては、ヒギンズやデ・ゼッサント
のように、独身の時は独身主義を謳歌して、もし好きな相手と上手く
いって己の気ままな自由を捨ててでも結婚したいと思ったら結婚へと
挑戦してみたらいいと思いますよ。
しかし、それが上手くいくかどうかはわからない。
上手くいくかもしれないし、いかないかもしれない。
どちらにしても運命ですよ。人間万事塞翁が馬。
それと好きな相手がいないけど、結婚はしたい人は
普通にお見合いすればいいと思います。
おお、神のみぞ知るだ!
ぼくが思うにだ、女は女の生活をしようとする。
男は男の生活をしようとする。
そしておたがいに、相手を引っぱり合って、
とんでもない方向にいってしまうんだ。
(バーナード・ショー「ピグマリオン」)
私の場合は、デ・ゼッサントのように、
私自身の趣味嗜好を深く愛しているので、
それを超える女性に巡り合わないと、
まず結婚はしないだろうな。
最後に、私の大好きな澁澤龍彦の「血と薔薇宣言」
をご紹介させて頂きます。
本誌「血と薔薇」によって、いわゆる倒錯者が、
倒錯者として生きる為の勇気を得ることになれば幸いである。
私達は、あらゆる倒錯者の快楽追求を是認し、
インファンティリズム(退行的幼児性)を賛美する。
(血と薔薇宣言)
参考作品(amazon)
ユイスマンス「さかしま」
オードリー・ヘプバーン「マイフェアレディ」
澁澤龍彦編「血と薔薇 第1巻」
澁澤龍彦編「血と薔薇 第2巻」
澁澤龍彦編「血と薔薇 第3巻」
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まじかる?メイリッシュ
やべえ、今日(5/20東京MXTV)の「まじかる?ぽか〜ん」悪ノリし過ぎだよ(笑)
「合体の呪文は無敵ロボットM5」が、これまでのストーリーを完全に無視した
ハチャメチャにイカレたノリで(←褒め言葉)、最高に激笑った。
特に高速の次回予告がネタを超凝縮したスラップスティックで最高。
つうか、突然、秋葉のメイドカフェメイリッシュの店内が出てくるのは反則。
つい先日行ったばかりなのに、あまりのことにコーヒー吹いた(笑)
いやあ、見てない人には訳の分からない話ですみません。
えっと話の内容は…すみません、要約不可能です(笑)
こういうこれまでの展開とか何もかも無視して高速の超テンポで
バババババッってハチャメチャギャグやりまくるの、私大好きなんですよね。
次回予告の「地球最後の日」は放映するのかな。
う〜ん、やってくれると私は嬉しいんだけど、次回予告自体がネタっぽいな。
まじかる?ぽか〜ん、凄く面白いですよ。今クールで一番何も考えず、
笑いながら見られるアニメかと。お勧めです〜。
妖精帝國が歌うOPテーマも最高ですし(CD購入済)
24日には、エンディングテーマ集も買ってこないと(^^)
参考作品(amazon)
「錬金3級まじかる?ぽか〜ん DVDBOX第1巻」
「錬金3級まじかる?ぽか〜ん DVDBOX第2巻」
「錬金3級まじかる?ぽか〜ん DVDBOX第3巻」
ぽか〜んED「しちゃいましょう」
ぽか〜んOP「鮮血の誓い」
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ゆずたん!! −愛しき人−
<性同一性障害>これからの問題も… 兵庫の小2受け入れ(ヤフーニュース)
性同一性障害(GID)と診断され、体は男児だが女児として通学している小学2年生。
地元・兵庫県内の教委が保護者側の意向を受け入れたことに、専門家らは一定の評価をする。
しかし、水泳授業、性教育……。学年が進み体が成長するにつれて直面する現実がある。
男児の「心の性」をどう受け入れるのか。教育現場や地域社会も問われている。
私は、今、私の最も愛する人との思い出を、胸中に甦らせている…、
ああ、我が愛しのゆずたん!!
なんて感動なんだ。俺は、感動を堪えられないうおおおおおおおおっ!!!!!
ゆずたん、ゆずたん、ゆずたん!!
ああ、ゆずたんとの愛の思い出が甦る――ゆずたん、愛しのゆずたん!!
俺の理想は可愛い女の子(肉体的性別は男)と付き合うことだよ…。
性別は魂によって決まるのです!!そして、玄妙にして優美なる少女の魂と、
輝ける少年の肉体を兼ね備えた子は、この世で最も美しい!!!至高の存在だ!!!!
ああ、なんという感動、なんという感動の衝撃、嬉しき衝撃であることか!!
これからも、肉体に囚われることなく、魂の性別で人々が暮らせる
世の中が当たり前の世として訪れることを、私は心から願っています。
そしてその世界で、私とゆずたんは、愛で結ばれるんだ――(^^)

ゆずたん!!
到底言葉では表現できないほど胸一杯に愛してる!!!
君の笑顔は、我が歓び!!
参考作品(amazon)
CAGE「ナイショのよりみち」
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ルサンチマンについて −自己の欲望−
煩悩是道場さん
-「ルサンチマン」が苦手-
ルサンチマンについてはシェーラーの著作
「価値の転倒」を読むのが一番いいと思います。
……これだけではあまりに不親切なので、簡単にご説明しますと、
「ルサンチマンとは自己の抱く欲望に対する憎しみである」
これだけ。ニーチェやシェーラーが語りまくっていますが、
突き詰めるとこれだけです。「欲望への憎しみ」がルサンチマンです。
どういうことかと云いますと、欲望っていうのは叶わないと苦しい訳ですよ。
欲望が叶えば凄く楽しいけれど、逆に欲望が叶わないことは凄く苦しい。
例えば無限に生きて、生を謳歌しまくりたいと欲望している人がいるとします。
この人が皇帝になって「除福よ、不老不死の秘薬を手に入れて参れ!」と命令したり、
もしくは石仮面を被って「俺は人間をやめるぞ!ジョジョーッ!!」とか叫んだりすると、
それは自己の欲望に対して向き合っているということで特に問題はないのですが…。
ここで、「欲望が叶わないのは苦しい!!俺がこんなに苦しむのは俺を欲望させるもの
(この場合は生きること)があるせいだ。欲望させるものが悪い!」と考え出すと、
ルサンチマンコースに突入!!生の欲望を否定し、生きることを否定しようとします。
上記は生きることを取り上げましたが、例えばセックスやお金や力(権力)なんかもそうです。
ルサンチマンは自己の欲望を憎悪する力なので、どれも禁欲主義に結びつきます。
俺はセックスがしたいしたいしたい
→俺がセックスしたくてこんなに苦しむのはこの世にセックスがあるからだ!!
→セックスを撲滅してやる!!=性を否定する禁欲主義
俺はお金が欲しい欲しい欲しい
→俺がお金が欲しくてこんなに苦しむのはこの世にお金があるからだ!!
→お金を撲滅してやる!!=富を否定する禁欲主義
俺は力(権力)が欲しい欲しい欲しい
→俺が力が欲しくてこんなに苦しむのはこの世に力があるからだ!!
→力を撲滅してやる!!=力を否定する禁欲主義
こんな感じですね。自己の欲望を憎悪する意志がルサンチマン。
まあ、自己の欲望を否定すると最終的には何もなくなる(無になる)ので、
あまりルサンチマンに囚われない方がいいかと私は思います。
私自身は快楽主義者なので、快楽主義的側面からルサンチマンにリソースは
割きたくないなと思います。自己の欲望を否定している暇があったら、
欲望を叶える為に資源を配分する方が、明らかに私の快楽を増大させるので…。
私は欲望がかなり強い方だし、確かに欲望が叶わないのは凄く苦しいですけど、
でも、そこで自己の欲望を否定してしまったら、自分を動かす根源的な力、
私を動かす内発的な力というものが失われてしまうように思いますね…。
参考作品(amazon)
マックス・シェーラー「シェーラー著作集4」(価値の転倒)
アルフォンス・デーケン「マックス・シェーラーの倫理思想」
フリードリヒ・ニーチェ「道徳の系譜・善悪の彼岸」
フリードリヒ・ニーチェ「権力への意志 上巻」
フリードリヒ・ニーチェ「権力への意志 下巻」
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「ぼくらはみんな、恋をする」マスターアップ記念
「腐男子進化系統」
「ぼくらはみんな、恋をする」公式サイト pekoe「ぼくらはみんな、恋をする」(amazon)
我らに約束されたおちんちんの日まで後わずか。
おちんちんランドの未来の為に!!(謎の合言葉)
「腐男子進化系統」
第一レベル(CAGEレベル)
女の子みたいなショタっ子に萌える。
↓
第二レベル
男の子らしいやんちゃ少年なショタっ子に萌える。
↓
第三レベル(プリンセス・プリンセスレベル)
綺麗な美少女のような美青年に萌える。
↓
第四レベル
性別不肖な感じの綺麗な美青年に萌える。
↓
第五レベル(夜明けのヴァンパイアレベル)
綺麗な男性的美青年に萌える。
―――覚醒する進化の壁―――
第六百六十五レベル(覚醒者レベル)
自分の肉体にアナルバイブを使用してウェットオーガズムに達する
第六百六十六レベル
自分の肉体にエネマグラを使用してドライオーガズムに達する
―――超越する進化の壁―――
第∞レベル(神到達)
リアルウホッ本番
きっとボクも物心ついたころにUFOをみたんだ……だから……
おちんちんに興味のある男の子なんておかしいと思って
ずっと隠して生きてきたけど……
別にそれは間違ったことじゃないんだ!
いやむしろ宇宙の真理に近づく一歩だったんだ……
UFOはそれを教えてくれたんだ!
世界中の人たちがこの事実に気がついてくれたら……
栗の花の香りに満ちた平和な世界が来るに違いない……
ああ…おちんちん……
おちんちん……
おちんちん!
おちんちん!!
おちんちん万歳!!
(上連雀三平「おちんちんの真相」「好色少年のススメ第5巻」より)

おちんちんランドの未来の為に!!
参考作品(amazon)
pekoe「ぼくらはみんな、恋をする」
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5月エロゲ購入予定ラインナップ −ネオ・鍵降臨−
「ぼくらはみんな、恋をする」公式サイト pekoe「ぼくらはみんな、恋をする」(amazon)
ほんと、5月はエロゲが26日戦線までほとんど皆無で地獄だぜ…
5/5…何も出ません。5/12…未購入。
5/19…「理詠子〜謀略の連鎖〜」(公式サイト)
…姉は特に趣味ではないのだけど、本作シナリオライターは
私の好きな「幼辱」のシナリオを手掛けた西矢沙広さんなので期待。
幼辱はエロが見事に充実した作品だったので、エロについては安心できそう。
5/26…「おまかせ!とらぶる天使」(公式サイト)
…果てしなくロリゲーマーを待たせた伝説のエロゲ。やっと、やっと出る…。
ロリサドヒロインの天橋愛良の責めに期待。うひょっ!!
5/26「辱アナ」(公式サイト)
…本作シナリオライターの優妃崎章人さんは、ルネの「女優・菜々子」「D-spray」
などを手掛けたライター。両作品とも無茶苦茶にエロくて好印象だった作品。
特に卑語の使い方が上手でGoodJob!本作はシナリオ優妃崎章人さん、そして原画が
エロ原画の神、川合正起さんなので、もはや5月のエロMVPは確定かと!!\(^^)/
5/26「TACTICSBRID」(公式サイト)
…ウォーSLGは好きで、十年来ずっと大戦略シリーズやってたりするけど、ただ…
エロゲのウォーSLGだと今年は「戦場デ少女ハ躰ヲカケル」のSLG部分が…、ぐあっ!!
ここは地雷原だ、に、逃げろー!!な感じで既に踏んでるので、慎重にならざる得ない…。
まずは様子見。SLGモードが手応えがあって面白そうなら特攻を敢行しよう。
ちなみに私がSLGで取る戦略は「いついかなる時でも特攻!!電光石火の電撃戦!
スピードこそ勝利の鍵だ!!」でこれでずっと大戦略とかギレンとかクリアしてきたな…。
堅守戦とか性格的に出来ないんですよね。戦略としては始まりと同時に資源と資金を
突っ込んでその時点で生産できるもっとも足が速く廉価なユニットを最大に生産して
電撃戦。敵首都が落とせそうなら、他の拠点は無視して首都へ特攻作戦を掛けちゃいます。
所有ユニット数が決まっているタイプのSLGでも、常に先行して攻撃重視で戦略進めますね。
逆に堅守戦でじっくりプレイしないとクリアできないようなSLGは苦手なのですが…。
さて、「TACTICSBRID」はどっちかな…?システム見ると、なかなか期待できそう…。
5/26究極の本命
「ぼくらはみんな、恋をする」(公式サイト)
アーッ!!鍵降臨!!!!!!アーッ!!
ついに、いたる総帥に導かれし新たなる鍵、
「ネオ・鍵」が真の実力を発揮する時がきたアーッ!!
ウホッいいエロゲ
参考作品(amazon)
pekoe「ぼくらはみんな、恋をする」
west
vision「理詠子〜謀略の連鎖〜」
ぼとむれす「おまかせ!とらぶる天使」
LiLiM生「辱アナ」
BLIP「TACTICSBRID」
west
vision「幼辱」
ルネ「女優・菜々子」
アンダームーン「D-spray 媚薬でモテモテ 課長代理補佐」
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朝日新聞にはてなブログのネタが大々的に取り上げられる −朝日新聞ははてなを愛してる−
5/16朝日新聞夕刊にはてなブログと他ブログの論争が
大々的に取り上げられていますね。
稲葉振一郎氏のブログ解読というかなり大々的な記事で、
取り上げられているブログはこの二つ
「分裂勘違い君劇場 西暦2026年の日本」
「BI@K 2026年の日本」
まったく…このまえはノケモノさんを取材してたし
朝日ははてなが大好きみたいだなあ。
私はこう断言するよ、
朝日新聞ははてなを愛している(爆)
アサヒコムにはまだ記事が来てないみたいですね。
せっかくなので私が記事を要約してご紹介致しましょう。
アサヒしんぶんを愛するみんな〜。
超天才超ブロガーにして超教授であるところの超稲葉振一郎だにょ!!
今日はアサヒしんぶんを愛する超インテリ入ったみんなに、
ブログでの揉め事建設的論争を紹介するにょりん。
まず始めは、はてなブログの分裂勘違い君劇場が、反グローバニズム的色彩の強い
未来予想エントリ「西暦2026年の日本」を書いたところから全てははじまるにょりんよ。
北斗の拳並に暗黒っぽい邪悪グローバニズムな内容が、超りべらる〜んなはてなブロガー
に大人気!!だけど、これに対してグローバル自由主義の立場から反撃が来たにょりん。
それは超カッコいいスーパーエリートブロガー、天才財務省官僚bewaad氏のエントリ
「2026年の日本」この反論エントリの方が絶対的に正しいと、
グローバリバータリアンのイナバッチは圧倒的に思うんにょ〜!!!
日本語が日本人を過酷なグローバニズムから守るんにょ〜!!
みんなで同じ言語でお喋りすることこそが、コミュニケート創造力と
なって国民を守る力なんだとクルーグマン超閣下も言っておられるにょ〜。
だからイナバッチは日本語が日本人を守るから
日本はこれからもずっと先進国で、
日本人のみんなは安心だと思うんだぴょん!(^^)
日本語ばんざあああああああいいい!!!!!!!
(超稲葉振一郎「ブログ超解読」)
ぶっちゃけ、こういう内容の記事です。朝日に載っている文章は
かなり硬い文章なので私が分り易く柔らかくしておきました(マテ)
まあ、言葉の壁が国民を守るというのは、クルーグマンを出さなくても、
フィヒテとか昔から述べていて(ドイツ国民に告ぐ等)
日本がずっと先進国で安心かどうかは分りませんが、少なくとも言葉の壁が
グローバニズムから国民を守るというのは、普通にまっとうな解釈で、
稲葉氏は真っ当な正論を書いていると私的には思います。
諸国家の最初の本源的で真に自然な国境は疑いもなくそれらの内的国境である。
同一の言葉(日本人なら日本語)を話すものは、あらゆる人間の人工に先立って、
ただ一つの自然(言語)によって、目に見えない多数の絆でもって、
全体として結びついている。それは相互に理解しあい、また常に明瞭に
(言語を)理解する能力をもち、同一の全体に帰属し、自然的な一者であり、
分割し得ない一つの全体をなしている。
(フィヒテ「ドイツ国民に告ぐ」)
あと、この記事だとbewaad氏マジカッコいい。ネットの誤った言説を鋭き洞察力で
打ち砕く天才財務省官僚にして正義のブロガーって位置付けで、カッコよすぎ…。
逆に分裂君は誤ったことを書いてbewaad氏に啓蒙されるという引き立て役に(^^;
いやあ、これがスーパーエリートブロガーのカッコよさなのか。
超エリートな財務省官僚にして、プロフェッサー稲葉をも唸らせる天才的な洞察力、
そしてネット上の誤った言説は決してそのままにはしておかない正義のブロガーbewaad。
ああ、カッコよすぎる!!まるでボーイズゲーの登場人物のようだぜ!!
bewaadさま、どうか僕と結婚してください!!(マテお前は男だ)
俺のイメージするbewaadさま
あっちなみに俺のイメージはこんな感じで、カップリングたの(ry
参考作品(amazon)
フィヒテ、他「国民とは何か」(ドイツ国民に告ぐ)
pekoe「ぼくらはみんな、恋をする」
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ボーイズラブの栄光
今さっき見つけたサイトさん。
萌えプレ:進化する801カップリング表記
マジ感動した。プリンセス・プリンセスの愛好家で
「ぼくらはみんな、恋をする」が楽しみでたまらない私のような
BL&801&ショタ好きの腐男子(って男の場合はいうのかな?)
として涙が溢れるよ!!思わずこんな言葉が(爆)
「この801表記が標準化の暁には、百合など物の数ではないわ!!」←問題発言
参考作品(amazon)
pekoe「ぼくらはみんな、恋をする」
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筒井康隆の思い出 −ダーク・ユーモア−
日本以外全部沈没映画化記者会見(CINEMA)
「日本以外全部沈没」って映画化するのか。凄い楽しみ。筒井康隆の
短編の中でも特に好きな作品の一つです。ドタバタSF大好き!!\(^^)/
ちなみに「日本以外全部沈没」が入った角川文庫の「農協月へ行く」は私の大好きな
作品揃い、例えば収録作「信仰性遅感症」は激エロエロ、禁欲主義者に対し痛烈な嫌味の
効いた傑作、泣きゲ万歳、禁欲主義万歳!と云っている人にはぜひ読んで欲しい!(笑)
そして収録作「村井長庵」の邪悪さはまさに天下一品、私はピカレスク・ロマン大好きで、
世界中のノワールを読んでいるけど、この作品の邪悪さに比べれば、海外のノワール
なんて裸足で逃げ出すよ(笑)主人公村井長庵をぜひ鬼畜ゲー主人公にスカウトしたい!
いやあ、今覚えば、子供(小中学生)の頃、筒井康隆大好きで、筒井の本を片っ端から
読んでいたからなあ…こりゃ性格も歪む罠(爆)筒井康隆の小説ってブラック・ユーモア
を超えたダーク・ユーモア、世の中の規範とか秩序とか善とか、そういうものを全部
嘲笑しているからね。まあ「だが、そこがいい!(ニヤッ)」って感じなんだけどさ(^^)
子供をまっすぐ育てたい人は子供の側から筒井康隆の小説は遠ざけておくべきだね(笑)
逆に子供をひねくれものにして、世の中の偽善に対して鋭い嗅覚を身に付けさせたいと
思っている人は筒井康隆の小説を積極的に子供の手元に置くといいんじゃないかな。
私のお勧めは「農協、月へ行く」「心狸学・社怪学」「霊長類、南へ」あたりを
まずは読書好きな子供の側にさりげなく置いておくのがいいと思うよ、クククククッ
人類は皆平等。愛。「私は嘘を申しません」。性善説。
戦争はごめんだ。まごころ。先人を敬おう。不幸な人に愛の手を。
こういうものはみんな嘘であり、それを嘘と認識したところから
ドタバタ、スラップスティック、ハチャメチャSFは始まる。
人間は差別が好きで、肉欲に生きていて、
嘘をつかねば生きられず、悪い事ばかり考える。
戦争は大好きである。(平和運動は戦争の第1段階だ)
裏切りこそ繁栄につながり、老人を馬鹿にし、早く死ねと思い、
不幸な奴がいるため自らは幸福だといって喜ぶのである。
この真実を、いまやSF以外の文学は、描こうとしない、
否、描けない。自らがそうした虚偽の中に取り込まれてしまっているからだ。
ただひとつ、下等にして下品にして半気ちがいで嘘つきと思われていて、
そしてなにものからも自由な、ドタバタ、スラップスティック、
ハチャメチャSFのみが、この真実を描き得るのである。
(筒井康隆「真実の文学」)
ふふ、真理だねえ…。この真実に対して今は世の中の小説までもが嘘をつきまくってるよ。
正直に云っているのは、筒井康隆、永井均、澁澤龍彦、ド・サド、ニーチェ、ジム・トンプソン、
最近では本田透さんなどの、ごく少数の人達だけ。でも、真理はこれらの人の側に在る。
笑止千万の人類よ、あらゆる風土、太陽の下で
死は汝らの捻じ曲がった身の醜態に 感心しては、
累々汝らと同様に、身に没薬を燻らせながら、
人類の気狂い染みた行動に、死の風刺を混淆するのだ。
(ボードレール「悪の華」)
参考図書(amazon)
筒井康隆「農協月へ行く」
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文化系女子について
「文化系女子VS.東池袋オタク女子」を読んで俺の脳内とのギャップに驚愕。
今をときめく「モテ」系文化系女子に会ってみた。………
「大きな瞳に白い肌、華奢な体。「美少女」といった印象だ。
(AERA「文科系女子特集」)
俺のイメージしてた文化系女子と違いすぎる…。記事だと普通にお洒落な女の子って感じだね。
俺は文化系女子と聞くと、サイボーグっぽい女の子がイメージとして浮かぶんだが、違うのかな?
俺のイメージするamiyoshidaさん文化系女子

参考リンク
松岡正剛の千夜千冊『猿と女とサイボーグ』ダナ・ハラウェイ
「日日ノ日キ」(amiyoshidaさんのblog。文化系女子の第一人者)
参考図書(amazon)
ダナ・ハラウェイ「猿と女とサイボーグ」
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ゼーガペイン −人類への鎮魂歌−
ゼーガペイン公式サイト
それは仕方ないのよ。この世に存在した以上、
有限のものは無へ帰ってゆく宿命を背負っているのだから。
(梶尾真治「おもいでエマノン」)
やべえ、ゼーガペイン第6話「幻体」を見たけど、いいですね。久々に快き戦慄が来た。
良きSF、良質のセンスオブワンダーと巡り合えた時の戦慄、ああ、最高!!
物語の正体がついに明かされて、こうビビッと来ましたよ。つまり物語は
グレッグ・イーガンな訳ですよ。「順列都市」「ディアスポラ」な訳です。つまりこういうこと。
そうよ、舞浜市は、量子コンピュータサーバーに保存された仮想空間。
そして私達は、肉体を失って量子サーバーの中で生きるデータ人格記憶体。
もはや地球上には生きた人類は一人もいない。
私達は機械の中の幻の街で暮らす、滅亡した人類の記憶なのよ。
(ゼーガペイン)
まさにイーガンですなあ。私、こういう、人類が滅亡した後、人類が残した機械の遺産が
人類が消えた世界でもずっと動き続けている話って大好きなんですね。私が最も好きな
日本SFに飛浩隆の「グラン・ヴァカンス」がありますが、これも、人類が消え去った後に
残されたコンピュータの中のデータ人格達が永遠にリフレインする夏を過ごしている物語で、
永遠に繰り返される過去の記憶の時間を過ごすゼーガペインのデータ人格達と同じですね。
人類がいなくなった後の無人の世界で、過去の人類世界への郷愁を持った機械が永遠
に動き続けるというのは、私の凄く好きなテーマです。心が懐かしさに揺すぶられる。
失われた人類世界の郷愁の記憶が、人間のいない世界の中で機械によってリフレインする…。
古典SFだと、クリフォード・シマックの「都市」とか凄く好きです。地球の新しい知性存在
となった犬種達が、遥か過去に滅亡した伝説の人類種について、その伝説を回想する…。
人類滅亡後の話は、とても懐かしい感じがして、私は大好きなんです。全ての種と同じく、
いつしか人類も滅亡するでしょうけど、消え去った人類の思い出を悼んでくれる
存在が残っているという物語は、人類にとって、凄く切なく優しい物語だと思いますね…。
参考作品(amazon)
グレッグ・イーガン「順列都市 上巻」
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他者を超える自由 -「電波男について考えてみる」を考えてみる-
言うまでもあるまいが、この二つ(「他者への愛」と「自由」)は正反対のものである。
(ジャン・ポーラン「奴隷状態における幸福」「O嬢の物語」より」)
長文エントリ「いまさら「電波男」について考えてみる」を読む…。
エントリが物凄く長いので二行にまとめてみる。
・本田透氏の主張はナルシシズムであり他者の存在を考えていない
・フィクションにも他者概念がなきゃダメだダメダメダメ!!他者最高!!
う、う〜ん、他者って無茶苦茶に便利な概念ですよね。私も時々使ったりしますけど…。
ただ、リベラル系の思想書とか読んでると他者他者他者の大合唱が現れて、
正直う〜んと思うことが多いです…他者って現代の神なんじゃないかな。(^^;
う〜んどうなのかな。フィクションの世界は、現実世界では不条理な存在として
立ち現れる他者を、己が受容できるユートピアの中に封じることができるのが、
一つの醍醐味としてあるし、それを否定すると芸術自体が成り立たないと思うなあ…。
例えば私は、マルキ・ド・サドの作品が大好きですけど、彼の作品で延々と
説かれ続ける哲学は「他者とか思いやりとかそういったあらゆる束縛から解き放たれろ!!
じぶんひとりだけの空想の世界を現実化しろ!!その為には力だ!!力を得ろ!!」
みたいなことのリフレインが延々に続く内容で、読んでいるとゾクゾクする快楽がある。
それは、他者を抹殺することによって生まれる、無限の自由の快楽。
本田透さんの文章にも、サドに繋がるような、自由への愛が溢れていると私は思う。
性愛に限定しない広義のナルシシズム、それも極めて強い自己愛の持ち主であった
サドは、生涯の大部分を収監されて過ごしたが、たとえ肉体が束縛されていても、
その精神、その想像力は縛られまいと考えていたのだろう。
「空想の世界は自由なのだ。(自分を牢に閉じ込める)現実の世界は
自分を完全に征服することはないのだ」と、虐げられた英雄のような
密かなマゾヒズムの気持ちを抱いていたのかもしれない。
(佐藤晴夫。ソドムの百二十日 完訳版 後書より。)
サドが描いたような他者を決して認めない、他者概念を破壊することによって
生まれる無限に自由で無限に孤独な邪悪の快楽というのがあります。
例えば具体例を挙げればエロゲのハーレムなんかそうですね。そこでは
ヒロイン達はただ主人公に奉仕する為だけにそこにいる存在と化している。
鬼畜ゲーの著名な主人公、伊藤臭作や、勝沼紳一が魅力的なのも、彼らが
あらゆる社会の束縛に縛られず、徹底的に己が意志のまま自由に生きているから。
自由は人間にとって欠かせないものだけれど、己のみの自由を極限まで極めると
邪悪になる。それは、現実世界では法によって禁じられた、孤独な自由の邪悪さ。
だからこそ、現実世界ではなく、虚構の世界、芸術世界での快楽としてそれは存在する。
本田透さんがリスペクトしている岸田秀氏が「ものぐさ精神分析」でこう述べている、
己の極限の自由=完全なナルシシズムは現実の社会で満たすことが出来ない、
然し人はそれを欲求する、ゆえに人はそれを満たす為に、現実社会とは別の世界、
”芸術”という領域を作り上げ、そこに人間が心から望む自由な世界を作ったのだと。
私は、この意見に賛成ですね。他者の束縛から解き放たれることで、自由が無限大化する。
私は、芸術領域は他者概念も含めたあらゆる束縛から解放された領域だからこそ、
価値があると考えるので、芸術領域にまで倫理的な他者概念を規範として持ってくるのは、
お門違いではないかなと思いますね…。芸術の価値は徹底的に自由であることと思います。
サドは、友人に宛てた手紙のなかで
「私はこうした(あらゆる邪悪な)種類のことで考え得ることは全て考えた。
しかし、考えた事をすべて実行した訳でもなく、これからも勿論実行しないだろう。
私は犯罪者でもなく、人殺しでもなく、一個のリベルタン(啓蒙的無神論者。
信仰及び宗教的戒律に従うことを拒否して自由に振舞う精神)にすぎない」
と述べているが、サドは権力から懸命に逃れようとした、自由な、
しかし、真面目で臆病なリベルタンであったに違いない。
(佐藤晴夫。ソドムの百二十日 完訳版 後書より。)
私は、他者を超えた芸術領域の自由を希求するサドや本田透さんの方に深く共感するな――。
現実領域が他者の世界だとすれば、芸術領域は自由の世界であると思う。
マルテーヌがやってきて
「ご主人様のお望みでしたら、何なりとお申し付け下さい。
ご主人様にご満足頂けるのであれば、どのようなことでもいたします」
とこう言った。
(マルキ・ド・サド「ソドムの百二十日 完訳版」)
参考作品(amazon)
マルキ・ド・サド「ソドムの百二十日 完訳版」
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日本人以外もエロゲを作っている
「日本人以外にだってエロゲは作れると思う」(NaokiTakahashiの日記)
日本人にしかエロゲは作れないというのは、非常に無礼な物言いで、
上記の高橋直樹さんの文章には同意なのですが、然し、なぜ、こういった
場では、日本人以外が既にちゃんとエロゲを作っていることを触れないのかな。
韓国の韓国人スタッフによるエロゲソフトハウスCDPAが既に存在するじゃないですか。
「CDPA」公式サイト
CDPAがデビューした頃は、みんな韓国に好意的で、エロゲ雑誌とかでも、
日韓エロゲ友好の掛け橋!!みたいに取り上げていたし、大ムーブメント
となったMMOラグナロクオンラインだってエロゲではないけれど韓国のゲームですよ。
それを急に、日本でしかエロゲは作れないとか、そんなの有り得ないことですよ。
今じゃ、韓国人のヒロインを出したりすることすら、リスクになっているような
業界の雰囲気だし、私は、そういった雰囲気が凄く嫌ですね。可愛い女の子は、
可愛いし、良い奴は良い奴なんですよ。国籍とか人種とか関係ありません。
寧ろ、ドラマになるじゃないですか。国籍を元に女の子を虐めているクソ連中を
主人公がぶっ飛ばすとか、そういうのが、エロゲのジャスティスじゃないですか。
敵国のスパイや女将軍と恋に落ちたりするのが、エロゲの醍醐味じゃないですか。
それを、なんでエロゲに出てくる差別的な三流悪役みたいな雰囲気に、みんな
流されてるのか。エロゲーマーは、そういう偏見から遠いと信頼していたのに…。
CDPAのスタッフインタビューを引用して紹介。彼らの感性がエロゲを作れない感性?
とんでもない話だと思いますよ。
ムーンゼロ(CDPAプロデューサー・シナリオ)
「元々日本の美少女ゲームには強い関心を持っていました。私たちも同じように
キャラクター性、ストーリー性を充実させ、感動を与えるものを製作できれば
と思ったのです。それを日本で発売して、日本のみなさんに遊んでいただければと」
――日本のゲームで心に残ったものは?
「日本語はよくわからないので、韓国語に翻訳された台本を見ながらプレイ
しました。感動したのは「加奈〜いもうと〜」と「AIR」です。同様の感動は
与えられないかも知れませんが、私たちも新鮮な感動を与えられればいいなと思います」
エニシーディー(CDPA原画担当・グラフィックリーダー)
「日本語ができないので感覚だけかも知れませんが、私はストーリー性があるゲームが
好きです。やっぱり「AIR」や「加奈〜いもうと〜」に感動しました。
――絵、グラフィックに関しては?
「キャラクター性に独特のものがあり、絵のタッチが繊細です。それに可愛い」………
――韓国では(厳しいアダルト規制で)描けないエッチシーンは?
ムーンゼロ
「最初はとまどいました。う〜ん、なんて表現したらいいんだろう…」
エニシーディー
「私は個人的にはエッチシーンが好きだったのですが、いざ仕事として
書いてみると戸惑いがありました。日本のユーザーにどんな評価を受けるか
不安ですが、楽しみでもありますね」
ムーンゼロ
「自分の書いたストーリーの中で、自分の作ったキャラがエッチシーンを演じる。
これ、本当に書いていいのかなぁという不安もありました。とまどいと不安、
その中で書いたキャラたちのエッチシーンですが、日本のユーザーに楽しんで
いただければ、本当に嬉しいです」………
――仕事ぶりはどんな感じ?
「健全な生活を送っていますよ。日本と違って、朝早く出社して夕方には帰ります。
その代わり、メインメンバーの四人は一緒に暮らしていますので、そこで仕事の
話になったりしますけど。でも遊んでますよ。みんなで「マリオカート」したりして(笑)
(PCエンジェル2003年5月号「CDPAスタッフインタビュー」より)
彼らが、エロゲを作れないなんて、これ読んでも云える人はいないでしょう。
1990年代に、ネットでの日本の萌え絵が韓国でも模倣されて、だんだん韓国の
技量が上がってきて、それら萌え絵を通して日韓のネット上での草の根交流が
あったり、オタクの日韓関係はずっと良かったのに、昨年ぐらいから急激に
悪化しましたね。凄く残念に思います。私は、政治的なことと、趣味的なことや
個人的な交流は分けて考えるべきだと強く思う。全てのことを政治的なことに収束
させてゆくと、自覚のない最悪の差別主義者になりかねない。私は、己自身の
誇りを持てる考え方をエロゲーマーにはして欲しいな。愛する子の為、好きな子の
為なら、その障害となるものとは戦うのが、エロゲーマーの心意気でしょう。
参考作品(amazon)
CDPA「青い涙」
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知り合いの女の子の訃報を聞いて、心が落ち込む……。
才気煥発な素敵な子で、先年、いい大学を出て大企業に入って、
順風満帆だったのに…、単身赴任先で事故で亡くなられた…。
なんだか…。私が今、ここでこうして生きているのに、私よりずっと才能があって優れた子、
私より若い子が私より先に亡くなるなんて、この世界は間違っていると強く感じるよ…。
自分より優れた女の子が活躍して、この男社会をぶっ壊してゆくのを見るのは、
私にとっての幸せだし、そういった女の子達は、私より長く生きるのだと思っていた…。
私より優れていて、私より頑張っている子は、私以上に人生を楽しむ権利がある筈なのに…!
すごく、ショック…。この世界に理なんてないと感じる。本当に、認め難い…。
心より、ご冥福をお祈り致します。
ああ、いかにわたしが叫んだとて、いかなる天使がはるかの高みからそれを聞こうぞ?
よし天使の列序につらなるひとりが不意にわたしを抱きしめることがあろうとも、
わたしはそのより烈しい存在に焼かれてほろびるであろう。なぜなら美は
怖るべきものの始めにほかならぬのだから。われわれが、かろうじてそれに堪え、
嘆賞の声をあげるのも、それは美がわれわれを微塵にくだくことを
とるに足らぬこととしているからだ。すべての天使はおそろしい。
こうして私は自分を抑え、暗澹としたむせび泣きとともに
ほとばしり出ようとする誘いの声をのみこんでしまうのだ。ああ、ではわたしたちは誰を
たのむことができるのか?天使をたのむことはできない、人間をたのむことはできない、
そしてさかしい動物たちは、わたしたちが世界の説き明かしをこころみながら
そこにそれほどしっかりと根をおろしていないことを
よく見ぬいている。それゆえ、わたしたちに残されたものとてはおそらく
わたしたちが日ごとなにげなく見ているような
丘のなぞえのひともとの樹、昨日あるいたあの道、
または犬のように馴れついて離れぬ何かの習癖、
これならわたしたちのもとに居ついて満足している。
おお、それに夜というものがある、世界空気をはらんだ風が
わたしたちの顔を削ぎとる夜。――せつない気持で待たれ、
ものやわらかに幻滅をもたらし、ひとりひとりの心に苦しく立ちはだかる夜が。
(リルケ「ドゥイノの悲歌」)
参考図書(amazon)
リルケ「ドゥイノの悲歌」
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「ポップ1280」 −わが内なる暗黒−
ジム・トンプスン「ポップ1280」(amazon)
(ジム・トンプスン「おれの中の殺し屋」は)「ゆがんだ犯罪者の心を一人称で
描いた小説として、私がこれまであったうちで最も恐ろしく、また説得力のある作品」
(スタンリー・キューブリック)
「ジム・トンプスンは疑いもなく第一級の作家だ。
一冊残らずお読みになるよう、強くお勧めする」
(アンソニー・バウチャー)
ジム・トンプスン「ポップ1280」を読書中…。………
………最高だ、あひぃっ!!最高だとしか云い様がないよ!!
私が求めているものがここに在った!!!!!
ああ、ノワールは本当に最高。私がエロゲに求めているものもこれなのに、
最近は残虐のざの字もなさそうなヌルヌルほのぼの物語ばかり!!
主人公がヒロインを惨殺してゆくエロゲがやりたいよおおおおお!!(ジタバタ
また…絶望、さよならを教えて、好き好き大好き!みたいな作品やりたいよぉ(グスッ、ヒック
もう…萌えゲには食傷してうんざり(あっ云っちゃった
あと、ジム・トンプソンの小説は、絶望のBGMがとてつもなくベストマッチしますね。
絶望のBGMはWAVで収録されているので(古いVA系列のエロゲはだいたいそうですが)
Windowsのサウンドレコーダーを使ってCDDA用のWAVに変換して音楽CD化してますが、
絶望の陰鬱で暗くそしてちょっとキッチュな音楽と、異常な程に合いすぎていて凄い。
絶望もトンプスン小説の主人公もどちらも、理知的な合理主義者かつ狂的で残虐な快楽殺人者。
故に、音楽が双方に上手にシンクロするんだな…。絶望のBGMを作った方、お見事です!!
トンプスンの作品に描かれる世界は、荒涼とした、腐臭芬々たる場所だ。
「ゲッタウェイ」のドク・マッコイ、「おれの中の殺し屋」のルー・フォード、
「ポップ1280」のニック・コーリー、「グリフターズ」のロイ・ディロン、
彼らはすべて平気で人を殺す。悲惨で邪悪な人間たちで、不気味なユーモア感覚
とでも呼ぶほかないものを持ち合わせている。犯罪小説史上において特異な存在である。
なかでもずば抜けてたちが悪いのが、田舎町の保安官ルー・フォードで、彼の
得意技は、自分が殺す何人もの人間達を、その前に死ぬほど退屈させるということだ。
そのための武器は、陳腐な決り文句を延々と並べることで、恐ろしくて逃げ出す事も、
言い返す事もできないままに、犠牲者は胸の内で悲鳴をあげることになる。
トンプスン一流の恐怖の世界を最もよく理解しているのはフランス人らしい。
トンプスンやコーネル・ウールリッチ、ディヴィット・グーディスといった
作家たちのために、「ロマン・ノワール」という言葉が特別に用意されている。
文字通りの意味は「黒い小説」。しかしフランス人の言う「ノワール」と、
呪われた自己破壊を表わす「モーディ」という二つの概念を同時に
体現しているのは、トンプスンただ一人である。トンプスンが描き出すのは、
真に邪悪な世界だ。イギリスの評論家ニック・キンバリーが書いているように、
「それは、神なき世界」で、そこの住人にとって「殺人は日常茶飯事にすぎない」。
(バリー・ギフォード)
ああ、荒涼とした、腐臭芬々たる世界、神なき世界、それこそが、真実の世界、人間性の
真の世界、エロゲという深淵に触れえる可能性持つ創造が描くべき世界ではないか!!
ああ…、ヒロインの絶望と苦痛、断末魔の絶叫、それらを私は感じたいのに…。
最近はついにあの残虐ソフトハウスたっちーまでもが萌えぬるくなる始末…。
ああ、耐えられない。萌えだけの世界は耐えられない!!
わが内なる暗黒が、そんなのは耐えられないと悲鳴をあげている!!
ひぎぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!!!
…萌えゲーとかプレイしていて、最初から最後まで死ぬほどほのぼのしてますけど、
そのあまりのほのぼのぶりに激しい怒りの衝動が湧き出し、この可愛い顔した萌え女を
滅茶苦茶に惨たらしく破壊し消滅させたいとか、萌えゲーマーの人は思わないのかな…。
私は感じるんですけどね…。萌えヒロインを、滅茶苦茶に破壊して消滅させてやりたいと。
私は、本当に今のタイミングでトンプスンと巡り合えて良かったよ。
最近は萌えゲーばかりで、私の中の暗黒を満足させるような邪悪なエロゲに
全然巡り合うことが出来ず、とてつもなくフラストレーションが溜まって、
もう、耐えられないほど苦しくて…、トンプスンの素晴らしいモーディ・ノワール
を読んだら、心の底から深い歓びを覚え、やっと安静に落ち着いた。
本当に、トンプスンは素晴らしいよ。私の希望の闇、暗黒の輝きだ――。
後は、誰もエロゲのヒロインを惨殺しないなら自分でヒロインを惨殺するしかない。
「この暗黒に約束を」を夢想しよう…。でも、やっぱり、私の一番の望みは…。
邪悪なモーディ・ノワールが、再びエロゲ界に現れることを、一番切に願っています。
「ひとつだけ言ってやろう、アンクル・ジョン」おれは言った。
「そいつを聞いて、少しは気が晴れるといいんだが。
なあ、人は誰でも自分が愛しているものを殺すんだぜ」
(ジム・トンプスン「ポップ1280」)
参考作品(amazon)
ジム・トンプスン「ポップ1280」
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現し世は夢、夜の夢こそ真 −夢に賭ける情熱−
Life
is only a shadow.
(マクベス)
先ほど(5/11PM5:20)TBSのニュース見てたら、テレビ東京のアニメ「いぬかみっ」が
放送時間繰り下げで録画できなかったことの抗議文が人骨と一緒にTV東京に届けられたって
ニュースを流していて、驚愕した。いぬかみっという作品について詳細に説明していたよ。
新聞記事にもなっているみたいですね。「アニメ録画失敗、テレ東に人骨と抗議文」(スポニチ)
いぬかみって、そんな熱狂的な人気のある作品なのか…。全然知らなかったよ。
ニュースでは、いぬかみっのファンはこの事件をどう思っているのか調査していて、
いぬかみっのファンが「ネットで抗議を書き込むくらいですね」とかインタビューに
答えていて、なんていうか…凄いね。みんなアニメを見ることに命賭けてるんだ…。
私なんかは、アニメ見てても、途中で見るのがめんどくさくなって止めちゃうことが
結構多いので、最初から最後まで見るのは、もうほんの一握りの作だったり(^^;
今見てるのは「まじかるぽか〜ん」「スクールランブル」「女子高生」
「吉永さん家のガーゴイル」「ARIA」「夢使い」「ひまわり」「獣王星」
「プリンセス・プリンセス」「ゼーガペイン」「機動戦士ガンダム」の11作品。
他のは途中で見るのがめんどくさくなって脱落した(^^;
先週のスクールランブル第六話は、放送時間の繰り下げで私は録画できなかったけど、
ああ、残念だけど仕方ないな…、としか思わなかったし、アニメに対する情熱は、
コアなアニメファン達に私程度では到底叶わないと思った…アニメファンて、凄いな…。
まあ、情熱を燃やすものがあるのは良いことだと思いますよ。私もアニメにはそれほど
情熱を燃やしてないけど、エロゲというかセクシャリティとエロティシズムの探求には
全力で情熱燃やしていますしね…。先週放映した夢使いの第四話も、現実に向き合うより、
夢の情熱の中に浸ることこそが真実の幸せだ、という電波男的な物語でしたし。我々は
決して客観世界は持てず、己の主観世界のなかに生きることしかできない断片的な生命存在。
ゆえに、自らが望むものを望み、自らが欲するものを欲す、それこそが我々の生が為し得る
最良の営みであり、それは夢の領域であろうが現実の領域であろうが変わりは全くないでしょう。
We
are such stuff as dreams are made on,
and our little life is rounded with a sleep.
(テンペスト)
参考図書(amazon)
シェークスピア「マクベス」
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マルキ・ド・サドと沈黙する言語
袋小路とは、知性による肯定を超え出るものに、知性による肯定を付け加えると、
知性の外部にあるというそのものの本質は消し去られてしまうという困難のことだ。
(バタイユ「アンドレ・マッソン」)
他者の話 人間は他者を求める(REVさん)
上記を読んで、私が悲惨物語と並び最も愛するサドの作品、ジェローム神父を
思い出した…。純粋な自己性の前に他者性は消失するんだけど、言語自体が、
他者性を前提とした構造(語る構造)なので、これについて純粋な自己性は語れない。
純粋な自己性は動物のように沈黙することしかできない。それを無理に語ろうと
取り組んだのが、サドであり、ある種のポルノグラフィー。孤独と沈黙の自己文学。
俺達が俺達の周囲の人間に対して抱いている誤った概念は、道徳上の数限りない誤った
意見の源泉となっている。俺達は、俺達の周囲の人間に対して義務があると空想している。
それというのも、彼らがまた、俺達に対して義務を有していると信じているからだ。
ひとつ勇気を持って、他人から何事かを期待するという甘い考えを棄てようではないか。
そうすれば、他人に対する俺達の義務もたちまち雲散霧消する。
諸君にお尋ねするが、どんな些細な欲望にせよ、俺達の欲望が問題であるとき、
地球上の全人類が一体何だというのか?俺にとっては何物でもない、俺の関心を
全く惹かない一人の人間を喜ばせる為に、俺がこのささやかな欲望を断念しなければ
ならない理由は、一体何なのだ?もし俺が何事かを恐れて、その人間をいたわった
としても、むろんそれはその人間の為ではなく、俺自身の為であることは間違いない。
何となれば、一般に俺がこの世で行動するのは、俺自身のため以外ではないはずだから
である。逆に、もし俺に恐れるものが何もなかったとすれば、俺は俺の快楽を少しでも
増進させる為に、出来る限りのものをそこから汲み取らなければなるまい。そして
そうした場合、俺が地球上の全人類を、もっぱら俺の快楽に奉仕すべき存在としてしか
認めていないことは、申すまでもあるまい。
(マルキ・ド・サド「ジェローム神父の物語」)
じつのところ、(他者を肯定する)文明人は語り、(他者を否定する)野蛮人は沈黙する
のであって、語る者とは常に文明人なのである。あるいはもっと正確にいうならば、
言語が定義の通り、文明化した人間の表現である以上、(他者を否定する行為である)
暴力とは沈黙なのである。この言語の偏向には極めて重要なものがある。すなわち概して
文明人が私達を意味し、野蛮人が(語りえない存在として)他者を意味するばかりではなく、
文明と言語はあたかも暴力をのけものにして、互いに相手の基礎をなしているのだ。………
私達は(他者を否定する)暴力は全人類の(実際の)行為であるにも関わらず、
原則として声を奪われた状態にあり、従って全人類は暴力の無視によって嘘をついており、
この嘘の上に言語そのものが基礎を置いているのだという事実を認めねばならぬであろう。………
(実際に)暴力をふるう者は沈黙する傾向があり、(暴力を否定する)ごまかしを多用する。
ごまかしの精神とは、暴力に通じる扉なのだ。警吏は警吏の職務に従事するとき、
国家の言語で同胞に語っているのである。たとえ情熱を持って職務にあたっているとしても、
彼は(自分の本心は決して明かさない)陰険な沈黙に自ら満足するであろうし、
それのみが彼にふさわしい唯一の快楽となるだろう。サドの小説の登場人物達は、
今私が任意に語らせた警吏のそれとは、違った態度をとっている。………
暴力の深い特徴であるあの沈黙を彼ら(サドの小説の登場人物達)は裏切っている。
暴力は決して自らの存在を語らず、決して存在の権利を主張せず、ひっそりと
黙ったまま存在し続けるからだ。………もしこのような人物(サドの小説の登場人物達)
が現実に生きていたら、もちろん彼らは黙って生きるに違いない。つまり、これは
サド自身の言葉なのであって、サドが他者に語りかける為に、このような方法を
用いたのである。………サドは小説を書きながら、ごまかしを拒否し、現実では
沈黙して生きるしかない登場人物達に、ごまかしの手段を与えたが、それは彼らを
利用して、もっぱら逆説的な理論(語りえないものを語る)を他人に語りかける為だった。
サドの行為の根底には二つの意味がある。サドは語るが、沈黙の生の名において、
完全な、必然的に無言な孤独の名において語るのである。彼が代弁者となった
孤独な人間は、同胞を全く眼中に置かないのである。それは決して自己を釈明せず、
誰に対しても弁明する必要のない、孤独のなかの至上の存在である。
(バタイユ「エロティシズム」)
「"他者性"に欠けると、収奪する意味が無い」というのは、まさに文明的な語る言葉で、
語れない言葉として「自己性だけで他者は存在しない」という、他者を否定する孤独への欲望
が存在する、そしてそれは語れないし語ろうともしない。言葉は他者に語りかける為のもの
であり、他者を認めない純粋な存在は最初から他者に語ろうとも思わない。けれど、その
沈黙の領域も人間の中に存在する、その領域にも欲望や快楽はある、それを示そうとしたのが
サドであり、ある種のポルノグラフィ、エロゲで云うならば「絶望」や「悪夢」だと私は思うな。
そして、アンビヴァレンツな世界の構造のなかで、それでもそれを超え出ようとする作品に、
私は、心から、涙が出るような感銘を受けるんだ…。サドの作品は、私には感動的。
サドは認識のなかで、一つの決定的な発見をしたという確信を持った。罪悪(他者の否定)
が人間を最大の悦楽的満足に、最強の欲望の堪能に達せしめるものだとすれば、罪悪に対立し、
罪悪の楽しみを妨げる他者との連帯性を否定すること以上に大事なことがあるだろうか。………
彼(サド)もまた人並みに女を愛しはしなかったろうか。(政略結婚させられたサドが真実に
愛した女性である)義妹との逃避行が、義母の怒りを掻き立て、あの恐ろしい勅命拘引状
(国王の命令で発行される完全無条件の逮捕・拘禁状)を彼女の手に得さしめることになり、
それによって彼は投獄される羽目になったのではなかったろうか。また後には、人民の利益
に基礎をおいた政治活動に身を呈しはしなかったろうか。恐怖政治に反対したが為に入ること
になった獄舎の窓から見えるギロチンの活動に、恐怖に血の凍る思いをしなかったろうか。
(サドは仏革命に賛同して活動したが、ジャコバン党の恐怖政治に反対し再び投獄された)
そして最後に、他者は取るに足らない存在だという真実を――”他の人間に”――明らかに
しようとした原稿が紛失したのを知って、彼は「血の涙」を流しはしなかっただろうか。
(サドはバスティーユ襲撃によって、サドの書いた原稿の大半が暴徒に破壊されたことを、
自ら「血の涙を流している」と語った)それでも彼は、エロティシズムの真実は、
他者を考慮に入れるならば、その運動を阻害されて十分には発現しない、ということを、
おそらく、孤独に心中に考えることを決して止めなかったのである。
(バタイユ「エロティシズム」)
物語の中からあるものを選び、あるものを捨てるのはすべて読者にお任せしたいのです。
そうすれば、全ての物語はそれぞれ所を得て落ち着くに違いないのです。
(マルキ・ド・サド「ソドムの百二十日」
参考作品(amazon)
マルキ・ド・サド「ジェローム神父」
ジョルジュ・バタイユ「ランスの大聖堂」(アンドレ・マッソン)
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食道をさまようもの
すごいぞ エロゲに出てくる料理は本当にあったん…ごふぁ
私はよく自己流の創作料理を作っているんですが、先ほどお腹が空いたんで、自分で
創作料理を作ったんですよ。納豆2パックと、パンと、青菜と、チーズと、漬物各種が
冷蔵庫にあったんで、パンにバターをたっぷり塗り、その上に納豆×2と青菜と漬物各種
を掻き混ぜたものを上に載せ、そしてその上にチーズを乗せてオーブントースター
で3分焼き、最後にマヨネーズを掛けて「kagami流和風サンドイッチ」を作ったんです。
そして、大口を開けて食したら… ………
異界からニャルラトテップさまがおりてきたんだよあははははははははhhh
想像を絶する、不味いとかそういった言語を超越した味でした。
エロゲとか漫画に、想像を絶する驚異的な味の異界料理って出てくるじゃないですか。
この前やったよくばりサボテンにも出てきました。あれはエロゲのなかのものだと
思ってたら現実世界に存在したんですね…。異界の食品を作り出す己の行為に、恐怖した…。
だけど、あまりに言語化不可能な味で、ここで食べるのを止めたら負けだ!!
と思ったので(今から考えると何に負けるのかさっぱり分からないが、食べてる時は
あまりの超味覚に錯乱していた)、全部食べました…。なにか、体細胞が入れ替わった
ような気分だけよ!!にんげんのたべものをこえたあたらしいせかいが…おとずれたんだ!!
のどにねばねばのこるばたぁとなっとうのミラクトゥルフてきなはあもにいがぜつみょおだおお
わたしはおぼえているなっとうのこと さらにとおいちーずのこと そしてきゅうきょくの
ちゃいろのあんこくしょくもつを なとによってしたをよぎるながいねばねば
かがやくトラペゾヘドロンのうちに捕えられた味覚みよって再現され…
茶色に輝く恐るべき深淵を超えて放たれる …
おそろしいことだ 味覚ではありえない異様な感覚によってざらつきねばついた
感覚が訪れる ――光は闇だ、闇は光だ――。味覚が意識を超えてゆく
不味いは美味く不味いは美味い みかくが みかくがない 食道のおくにあれが
残っている あの感じが 粘粘が ふくれあがる わたしはくるったかくるいかけている
おそろしい匂いがする 感覚がとぎすまされている
あれ からdがくずれて おなか いたい おれ どうな て
・・・いあ・・・んが・・・んがい・・・いぐぐ・・・いあ・・・ぐふぁ!!!!!
参考図書(amazon)
H・P・ラヴクラフト「ラヴクラフト全集3」(闇をさまようもの)
H・P・ラヴクラフト「ラヴクラフト全集6」(未知なるカダスを夢に求めて)
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女性化する日本 −堀江貴文に好きして−
男の人としては、好きか嫌いで普通がないって言われると辛いもんがありますよね(笑)
(高田明美)
いやあ…。堀江貴文社長が拘置所内ですっかり痩せてイケメンになって出所してから、
世間の風向きが完全にかわっちゃった感じですね…。正直、唖然とするとしか…。
なんか、このことで女性の人と話したり、各局報道を見たりしていると、魔法少女LOVEで、
太田貴子ファンの私の頭の中は、かの名曲「デリケートに好きして」が流れ出す(笑)
♪男の子とちがう女の子って 好きと嫌いだけで普通がないの ………
♪嫌いと感じたら手遅れみたい サヨナラが心にあふれてしまう ………
♪興味ない人と一秒も 一緒にいられない私達 ………
(太田貴子「デリケートに好きして」)
ほんとに、世間の反応は「好きと嫌いだけで普通がないの」って感じですね。しかも、その
好きと嫌いは全部、容貌に対する印象で決まるというのが、なんとも…絶句としか…(^^;
ほんと、なんか、頭がくらくらしてきて…、筒井康隆の七瀬シリーズの最終巻
「エディプスの恋人」は、神様が男性から女性に交代して、世界が女性化してゆく
話でしたが、あの物語はまさに予言書だったね…。マスコミも政治家もみんな、
女性の感想と同じような感じの反応を示しているし、日本国全体が、女性化してる…。
世界諸国の中の女性国、日本!!これって喜ぶべきか悲しむべきか、さっぱりわからん…(^^;
まあ、予想できることとしては、日本国のこれからは、外交でも内政でも
突然ころころ態度が変わるような国になるということは云えるでしょうね(笑)
♪そうよ女の子のハートは 七色に光る虹のように 風が吹くだけでも変わる〜
(太田貴子「デリケートに好きして」)
余談ですが、これって今の若いオタには全く通じなさそうなネタだな(笑)
私はミンキーモモ(初代)とクリィミーマミとペルシャやエミが好きなオールドオタなので(^^;
クリィミーマミの最終回の雨のシーンとか、今でも私の心に焼き付いているよ…。
魂を揺さぶられたな…。切なくて、哀しい寂寥感に溢れていて、今でも胸が一杯になる…。
参考作品(amazon)
太田貴子「大田貴子ベストコレクション」(デリケートに好きして)
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堀江貴文ライブドア前社長保釈 −拘置所=イケメン製造所−
ライブドア前社長の堀江貴文社長が保釈されましたね。拘置所に入る前の堀江社長は
お世辞にも二枚目とは云えない感じに全体が太ってましたが、それが、拘置所での
規律正しい生活に鍛えられて、すっかり痩せてダンディにカッコよくなってしまって…。
女性の人達とこのことで世間話してたんですが、以前は堀江社長が嫌いだった
人達なのに、今回みんな、急に堀江社長に好感を持つようになってて吃驚した(^^;
ネットなどでも堀江社長の相貌に対する好感の感触が強いですし、痩せてイケメンに
なったことで、堀江氏への世間の評価は全体的にかなりあがっているようですね…。
やっぱり、人は見た目が9割どころか、人は見た目が99.9999999%なんだなあと思ったよ…。
今、このイケメンとなった堀江前社長に対する、完全に見た目からの世相の好感反応を見ると、
堀江社長が逮捕された時、社長&LDが世間から叩かれた最大の原因は外見だったとしか思えない。
結局のところ何もかも相貌が原因だったのかと思うと、大澤真幸さんや東浩紀さんや宮台真司さん
と云った色んな学者さんとか切込隊長さんを始めとするブロガーさん達とか、私も含め大勢の人が、
ライブドア事件について一生懸命真剣に、考えを巡らし分析していた何もかもが果てしなく虚しい…。
外見がブサメンだから叩かれた。イケメンになったら持ち上げられた。ただ、それだけとは…!!
結局、外見が全てか…。堀江社長がイケメンになった今、堀江社長をそのブサメン的相貌から
リスペクトしてた本田透さんとかどうするんだろうか…。ああ…。この世は、ほんとに外見が全て。
ブサメンで嫌われていた人がイケメンになったら大人気という、身も蓋もないこの現実が、
本田透さんの「電波男」は完璧に正しかったことを示しているね…。何もかも外見か…。
拘置所は刑務所よりずっと人間的な待遇で、その上、食事管理が完璧で規律正しい生活だから、
拘置所に入ると、太っている人は痩せてカッコよくなってゆくみたいなことは、見沢知廉さんも
書いていた記憶があるな…。見沢知廉さんも痩せぎすでなかなかカッコいい人だったですね。
こうなると堀江貴文著「拘置所に入ればイケメンになれる」とか本が出版されそうだね…。
ベストセラーになって「イケメンになる為に拘置所に入りたいんです!!」って人が沢山でてきたり(笑)
参考図書(amazon)
竹内一郎「人は見た目が9割」
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愛情の消失 −結晶作用の不在−
「子どもの“交際”は今」(東京新聞)
ジャーナリストの速水由紀子氏は「東京や大阪といった大都市の中心部にいる
子どもたちより、地方の衛星都市のような地域で、こうしたグループ交際的な関係を
持つ子どもたちは多い。その場合、性的交渉の場面は必ず付きまとう」と強調する。
………。なんていうのかな…。愛情の観念的な超越性みたいなものが、若年層から急速に
失われているみたいですね…。私は、若年層同士であっても、互いが互いのことを真剣に
想いあって、その結果としてのSEXなら問題ないと思っておりますが、刺激の為の乱交とか、
金の為にSEXとかには、否定的な立場ですね…。こういうことを若い頃にやってしまうと、
好きな人への想いや、恋人同士の付き合いの中の想いが、消えていってしまうよ…。
身体をやすやすと許す人と、身持ちが硬い人の貞操を考えた時、前者よりも後者の方が
自身の肉体の貞操観念を大切に考えている。これは禁止の観念、抑圧の観念と言い換えても
構いません。後者の人が性交を決断する時、そこには前者よりも遥かに大きな心理的負荷が
掛かることになります。そしてそういった負荷を乗り越える意志、大きな心的障壁を乗り越えて、
大切にしてきた貞操を、この愛する相手に渡したいと想う時、それは非常に深い愛情の確証
となるのです。自分の大切なものを相手の為に犠牲にするというのが、恋愛の根幹を為す定理。
恋愛とは、相手への愛を証明する為に自己を犠牲にすることと云っても過言ではない。
そして、その犠牲、相手の為に尽くす労力に喜びを感じることが、恋愛、愛情の不可思議さ。
これこそが、人が人との継続的な関係性を喜びとし、未来に向かって愛を感じる、神秘の力。
処女をじつにえも言われぬほど魅力的にしている美しき秘密は、
彼女の母たらんとする予感――彼女のなかにまどろみ、
彼女のなかから生い育つ未来の世界のへの予感――である。
処女こそ、余すことなき未来の似姿にほかならない。
(ノヴァーリス「ノヴァーリス作品集T」)
逆に云えば、誰とでもセックスするような人の場合、相手に対する愛情の確証というのは、
少なくともセックスに関しては持ちにくい。そういった人にとっては、セックスの価値は
単なる快楽やもしくは金のみの価値に変換され、犠牲を捧ぐ喜びとしてのセックスは存在しない。
ゆえにそこでは、愛する人の為に自分を捧げているという想いは極めて貧弱にしか働かない。
「自らを大切にしろ、自らを律しろ」とはよく云われる言葉ですよね。
ではなぜ自らを大切にするのか。なぜ自らを律するのか。
それは、大切な自らを捧ぎたいと思える愛する人が現れた時、大切な自ら、律せられた己を
相手に捧ぐ時、大切な自分が律を超えて、相手への自らの愛情の深さとして、現れるがゆえに。
人間というのは不思議なもので、こういった想いが、とても深い快楽もまた与えてくれる。
逆に、自らの価値を誰にでも安売りするというのは、それは傷つきたくないということですね。
自ら自身で自らの価値を誰にも捧ぐことなくただ毀損して、その価値を最初からゼロ、
皆無にしてしまえば、もはや、自らの価値がどんなに毀損しても傷つくことはない。
そこは何もない、虚無だけが在る内宇宙…。ある種のオタや拒食症の子に重なるね…。
自らの価値を誰にでも安売りしている若い子は、本当にとても痛ましい感じがしますね…。
勿論、個々ケースバイケースで一概には云えないとは思いますが、やはりどうしても私は、
こういった子たちはいくら大切にされても、決して愛されてはこなかったんだろうな、
自らを犠牲にしてでも大切なものを捧ぐ、愛情の不可思議さというものを他者から
与えられてこなかったんだろうな、と思います…。私は悲劇だと思いますよ…。
心は、世界と生を開く鍵。この救いがたい状況でひとが生きるのは、
愛するため、――そして、他者に感謝するためである。
不完全であればこそ、他からの影響を受けることができる――
そしてこの他からの影響こそ、生の目的なのだ。
(ノヴァーリス「ノヴァーリス作品集T」)
参考図書(amazon)
ノヴァーリス「ノヴァーリス作品集T」
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ロリサド娘の歓喜 −神聖なる所有物へ−
や、やべえ、上記のサイトの全てがロリマゾな俺のツボにきた…ああ、最高、最高、最高!!!
「のぞみとせんせぇ」を読んで私はもう歓喜の涙を流すことを抑えられない!!
ああ、のぞみさま、さいこうでございます………うひゃっ!!
いいなあ、いいなあ、いいなあ、この世で最も無垢で高貴なる御方=ちっちゃな少女様に
いじめてもらうのはなんて快楽なんだ…至上、至上の至福としか云い様のない歓び――!!!
ああ、マゾヒズムはエロティシズムの究極の形態の一つであり、そして日本のオタ世界
においては、まだほとんど未開拓の地。ぜひこのフロンティアへと旅立つ方を、
私はロリサド娘を愛する男性マゾヒストとして、心より応援致します!!
男性サディズムが、対象(女奴隷)を自己(男主人)が吸収・同一化するものだとすれば、
男性マゾヒズムは、自己(男奴隷)が対象(女主人)に吸収・同一化されるものなんですね。
つまり、一言で云えば、自己が自己であることを否定し、ただの女主人の物となることで、
女主人の一部となるのです。男性サディズムの場合は結局のところ、自分のなかに対象女性
を取り入れてしまいますが、男性マゾヒズムの場合は、自己が対象女性の一部となることができる。
ロリっ娘を自分のなかに吸収しても(男性サディズム)、それは結局、自分だけしか残らない。
ロリっ娘の神聖さは自分のなかに消えてしまう。ただ、ロリっ娘に己が吸収されることだけが、
ロリっ娘がロリっ娘としてその神聖さを持ったままに、自らがロリっ娘と一つになれる唯なる方法。
ゆえに男性マゾヒズムだけが相手への真の同一化、その対象の女性の一部となることができる。
ロリサド娘に支配されるとき、自己は消失し、ロリサド娘の所有するモノとなることができる。
無垢で高貴なる神聖な究極存在と同一化する。これこそ、究極の歓喜――!!!!!
「O嬢の物語」は、若く美しいパリジャンヌのファッション写真家、Oが、
愛人ルネの奴隷になることだけを望み、自ら進んで堕落の道をゆく物語である。
スーザン・ソンタグは(論考「ポルノグラフィ的想像力」の中で)次のように書いている。………
「Oは学び、苦しみ、変化する。一歩一歩、Oは真の自分へ近づいてゆく。
その過程は、自分自身をぶちまけ、空にすることと同じである。
「O嬢の物語」に示されている世界像において、最高善は
(全てを主人に委ねる自己放棄による)人格の超越である。
プロットの展開は水平的ではなく、堕落を通しての一種の上昇である。
Oは単に便利な性的道具になるだけではなく、完全に『モノ』になろうとする」
言い換えれば、「O嬢の物語」はさかさまになったビルドゥングスロマン
(人格形成小説)である。Oの人格的成長の究極の目的は、
まさにソンタグが看取したように、人格の否定である。
(ジョン・K・ノイズ「マゾヒズムの発明」)
ああ、のぞみさまや子猫さまのような神聖なる支配者がこの薄汚い豚を支配して
くれるようなエロゲ物語を一日千秋の思いで待ち望んでおりますよ…。
人は愛するものの為に、自らを犠牲とすることを歓び、永遠の陶酔を感じてきた
ことは、人類の長い歴史、人類が行い続ける観念への殉教の歴史を見れば明らか…。
真に愛する、神聖なる天上へ自らを捧ぐとき、世界は至福に開かれる。
「愛に平等などありません」私はうやうやしい厳粛さをこめてそういった。
「支配するか、征服されるか、二つに一つの選択を迫られれば、
即座に美しい女の奴隷となる方が私には魅惑的に感じます」
(ザッヘル・マゾッホ「毛皮を着たヴィーナス」)
私にとって気になるのは、ここで用いられる一つか二つの言葉である。
すなわち「愛」という言葉と「自由」という言葉である。
言うまでもあるまいが、この二つは全く正反対のものである。
私は単に愛の快楽の面について語っているのではなく、愛の存在そのもの
について、どうしても存在させなければならないという熱望そのものに
ついて語っているのであるけれども――。
(ジャン・ポーラン「奴隷状態における幸福」)
「今こそ君を罰してやろう。僕は今まで君を罰したことが一度もなかったね、O」
「でも、わたしはあなたのものだわ」Oは言った。「罰してください。………」
(ポーリーヌ・レアージュ「O嬢の物語」)
私の笑いと私の嗚咽の混乱の中に、私を打ち砕く激情の過剰の中に、
恐怖と私を困憊させる悦楽との類似、
最終的な苦痛と耐え難い喜悦との類似を、私は捉えるのだ!
(ジョルジュ・バタイユ「エロスの涙」)
私はずっと、待っているよ……。
神聖なる支配者――ロリサド娘の訪れを……。
参考リンク
「虚無牛でむぱ通信塾。」
参考作品(amazon)
ういんどみる「魔法とHのカンケイ」
スーザン・ソンタグ「ラディカルな意志のスタイル(ポルノグラフィ的想像力)」
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DQ2のフリーエロゲ「決戦前夜」
ゲームを公開されているサイトさん「South*east*east!」
(South*east*east!さんトップページ→げーむ→「決戦前夜」でプレイできます)
かのDQ2傑作フラッシュゲーム「ロンダルキアの夜」をエロエロパワーアップした
感じで楽しめました。ヒロインのムーンブルクの王女がロリっ子なのも好感触(^^)
やっぱローレシアの王子はムーンブルクの王女とくっつくのが正統だなあ。
だってサマルトリアの王子はラヴラヴ妹と結ば・・・うひょっ!←エロゲ脳的発想
いやあ、かの澁澤龍彦先生も「近親相姦は王侯貴族の愉悦」と仰っておられますし…。
DQ2勇者達が帰国後、それぞれの国が滅茶苦茶になりましたし、さぞやご乱交ご乱行が…。
まあ、若く互いに魅力的な男女が一緒に長い旅をしていてエッチしてないという方が
おかしなことでしょうね。彼らのご先祖様なんか、冒険中に美味しく3Pとかしてますし。
DQT勇者のエロエロぶりを知りたい人は「USO8oo」さんの今月初めの更新を見てくださいね。
最後まで読んだらctrl+Aを押すのを忘れずに(笑)
参考作品(amazon)
澁澤龍彦「少女コレクション序説」
エニックス「ドラゴンクエストモンスターズ3 キャラバンハート」
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少女漫画 −繊細さの衰退−
「有害図書:少女コミックも指定へ育成条例で府、対策強化」(毎日新聞)
過激な性的描写のある少女コミックが有害指定(成年コミック指定)されるようですね…。
私は、規制には反対ですけど、ただそれでも、少女漫画好きとしては、昨今の中学生、
高校生向け少女漫画における漫画の展開の大勢には、大いに異論がありますね…。
私は少女漫画は昔から大好きですけど、「りぼん」「なかよし」で育ってきたので、
こう…なんというか、池野恋の「ときめきトゥナイト」とか水沢めぐみの
「チャイム」とか柊あおいの「星の瞳のシルエット」とかを小学生の頃読んで
胸を一杯にして感動してきたものなので…、近年の少女コミックとか読むと、衝撃で
フラついてしまう感覚を抑えられません…あまりにも内容が衝撃的過ぎる…。
なんというか、昨今の中高生向け少女コミックって、
「強引なイケメン登場→ヒロインと強引にSEX→一方的な行いの中でなぜか愛が芽生える」
みたいな展開が多くて、…あまりにも、なんというか…。これが、愛とは、私には思えない…。
成年コミック指定されている18禁コミック誌の「コミックRIN」とかの方が、
こちらはセックスが完全な主題なのにも関わらず、中学生、高校生向けの少女
コミック(例えばそのまま「少女コミック」とか)よりも、読後感は「りぼん」
とか「なかよし」に近いというのはなんとも…、男性の方が男女互いに分かり合える
ことを目指す純愛幻想への欲求が強いのかなと思いますね…。18禁コミック誌で
書いている18禁漫画家の関谷あさみや宮内由香の方が、少女漫画家の刑部真芯や
新條まゆに比べて、遥かに少女漫画、ボーイミーツガールしてると思いますよ…。
関谷あさみや宮内由香の作品なんかだと、セックスは18禁コミックという掲載誌の
立場上、主題として書くことを求められるし、勿論彼らは性を主題として書いていますが、
彼らの作品の良いところは決してセックスだけを描くのではなく、ちゃんと男女が
互いを思い合う優しい心の機微、その発展や苦悩としてのセックスを描けているところで、
この男女が互いに思いあう優しい心の様々な機微こそは、「りぼん」や「なかよし」の
持っていた最良のエッセンス、少女漫画の繊細な最良の部分だと私は思うんですよ…。
関谷あさみの短編「壁の向こう側」とか、最良の少女漫画と云っても過言ではないと思う。
だから、「りぼん」や「なかよし」の発展系としての、中学生、高校生向けの
少女漫画は、そういった互いを思いやる心の機微と、その発展として、身体の繋がりが
あるような形で描いて欲しいなと私は思っているのですが、どうも昨今の大勢は、
「イケメン至上主義」とでも云う感じで、心の繊細な繋がりを丁寧に描くとかよりも、
「イケメン最高!!金持ち最高!!芸能人最高!!強引最高!!」みたいな、繊細さ
とは対極にある、外形的なものを重視し、センセーショナルな展開を行う作品ばかりが
受けているような感じで…。私としては、正直、こういうのは読んでてガックリきますね…。
少女漫画の全体から、だんだん相手を想い、思いやる心の細やかな機微を丁寧に
描いてゆく繊細さが失われ、物凄く大雑把な、それこそある種の少年漫画のような
乱暴さが蔓延って来ているように私は感じるし、それをとても、残念に思っています…。
少女漫画の最良の繊細さは、エロゲや18禁コミックの一部に受け継がれているとしても、それでも…。
二十年ぐらい前、水沢めぐみや池野恋、柊あおいがバリバリ活躍していた頃の「りぼん」のような
心打つ、繊細で、読んでいてそっと涙がでてくるような少女漫画を、もう一度、読みたいな…(涙)
参考図書(amazon)
池野恋「ときめきトゥナイト」
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アニメ&ゲーム随感 ゲーム「REVIVE」評
データイースト「Windows版 REVIVE」(廉価版)(amazon)
性を除外した恋愛表現など、コンシューマにやらせておけばいい。
18禁の恋愛表現はあくまでも、性の上に構築されてなければならない。
そうでなければ、いったい誰がエロスを表現するというのか。
(藤木隻「エロスについて」)
今日(4/14)初放映したアニメ「獣王星」は良かったですね〜。
過酷な環境に放り込まれたショタ双子のサバイバル物語ですが、第一話にして
出来の悪い方はあっさりと脱落して死亡する容赦なき展開に痺れたぜ!!(^^)
ちなみにこの作品って、樹なつみさんが原作なんですね。私は樹さんのSF大作「OZ」
が大好きで、樹さんはファンタジーよりもSFに適した作家だと思っているのですが、
獣王星は樹さんのSF素質が十分に生かされている感じでいい感じですね。次回も楽しみ。
ゲームの方は今はなきデータイーストの私的には最高傑作ゲーム「慟哭」の続編である
「REVIVE」Windows版をコンプリート。1980円で売ってたよ…。安くなったもんだなあ(^^;
コンプリート所感は…う〜ん…。面白いんだけどね…。「慟哭」は超えられなかったな。
「慟哭」のオマージュ元である「遺作」も超えられなかったって感じですね…。こんな感じ。
「慟哭」>>|超えられない壁|>>「遺作」>>「REVIVE」
美少女物のトラップアドベンチャー系って云ったら、古い順に「遺作」「慟哭」「REVIVE」
となるんだろうけど、正直なところ、三作の中では本作が一番出来が悪いかな。と云っても、
丁寧に作られたトラップアドベンチャーであることには変わりなく、十分楽しめはしました。
これで2000円なら圧倒的にお買い得です。ボリュームもばっちりでコンプまで20時間ぐらい。
ただ、「REVIVE」の場合、シナリオがグダグダなんですよね。シナリオに緊張感がない
ので「遺作」や「慟哭」と違って、トラップを解く時もどうも緊迫感がなくて…。
「慟哭」のトラップ解きなんかでは、「ここで俺がトラップを解かねば彼女が死んでしまう!
なんとしてもトラップを解いてやるぞ!!」みたいな切羽詰った気持ちが抱けたんですけど、
「REVIVE」の場合はシナリオがグダグダなおかげでそういう緊張感が皆無なんですよ。
トラップの出来自体はなかなか手ごわくて解き応えがあって面白かったんですけどね…。
あとは「遺作」は普通にエロシーンがありましたし、「慟哭」もサターンの18才以上推奨枠
を使って、なんつーか、ある種、エロゲよりもエロいエロスを醸し出していて、そこが魅力的
だった(「慟哭」の羽鳥いつみが、このままじゃ私達死んじゃう。だったら死ぬ前にあなたと
エッチしたいって、主人公と二人きりで閉じ込められたエレベーターの中で服を脱ぎ出す
シーンとか、並のエロゲのエロシーンより遥かにエロスがあった…)のですが、本作「REVIVE」
の場合、エロゲから無理やりエロを抜いたような感じで…。例えば、年上ヒロインに誘われて、
「ふ〜ん、君(主人公)はもう成人式迎えたんだ。ねえ、一緒にお酒飲みに行かない?」
「え、でも、××さん(ヒロインの名前)、車じゃ…」
「大丈夫。君が酔いがさめるまで、一緒にいてくれれば…」
こんな感じで、プレイヤーとしては(やっほーい!!セックスのお誘いキタ――!!)
と思ったら、そこで唐突に終わるんですよ。ジ・エンド。あれ…?これからが本番じゃ…?
一番許せなかったのが、私の一番好きなヒロインであるロリっ娘の千尋たん(感情の
発達が遅れていて、外見は中学生ぐらいだけど心はもっと幼い)は、お風呂入るのが
大好きで、主人公のことを「お兄ちゃん」と呼んで慕うんですが、ラスト、ハッピーエンドで、
「お兄ちゃん、千尋とお風呂入ってくれる?」
「勿論いいよ!!」
よっしゃ!!素晴らしい返答だ!!と思ったら、そこで終わった。
………。俺が…どんなに千尋たんとお風呂に入るのを楽しみにしていたと…!!!!!
ロリっ子とお風呂入るのは、ロリの最高の浪漫なんだよォォォォ!!!!!
うああ…。とにかく、プレイしていてエッチ寸止めばかりくらいストレスが溜まっちゃったよ…。
コンシューマ版のベタ移植ではなく、折角Windows版にして発売するのだから、エロシーンを
入れてくれれば良かったのにな。エッチできずに物語が終わると、こう…、楽しみにしている
芝居を見に行ったら、幕が開かずに前口上だけで舞台が終わったかのような衝撃を受けるよ…。
私はシェークスピア劇大好きですが、かのシェークスピアもこう述べている。
ウィリアム・シェークスピア
「二人の貴公子」
幕開けの前の前口上
(幕はまだ閉じている。芝居の開演を告げるファンファーレが
鳴り響き、幕の前に前口上役が登場し、以下の口上を述べる)
新作芝居とかけて、処女と解く。
見物をわくわくさせて、帯を解く。
大金払ってもぜひ見たい、
芝居の初日は初夜みたい。
どきどきしながら幕開けて、
頬を赤らめ、膜捨てて、
優れた芝居は女の味わい、
まくがあいても乙女の恥じらい。
この劇もかくあれかしとはわれらが願い。
うふふ…。こういうセクシャルとヒュ―モアに彩られた感性って、歴史を超えて普遍ですね…。
シェークスピアは処女の膜開けのように芝居の幕開けを楽しんで欲しい(笑)
と云っている訳で、これはゲームにも通ずるなと。コンシューマなら仕方ありませんが、
エロゲなら、期待通りのちゃんとした「まく」を開けて楽しませて欲しいものです(^^)
ちなみに「REVIVE」の開発元って横田守さんが代表を勤めるエロゲソフトハウス
のテリオスなんですね。テリオスさんも、また藤木隻さんの「エリュシオン」みたいな、
ゲーム性とエロスが絶妙にマッチしたやり応えのある作品を作ってくれないかなあ…。
もう、萌えだけのゲームは飽きていて…、「慟哭」18禁リメイク版とか出たら絶対に
買うんだけど、データイーストの倒産で色んなゲームの版権の行方が不明に
なっちゃってるらしいので、難しいかも知れませんね…。でも、もし「慟哭」の
版権をエロゲソフトハウスさんがゲットできたらぜひリメイクして欲しいな…。
参考リンク
藤木隻「エロスについて」
参考作品(amazon)
データイースト「Windows版 REVIVE」(廉価版)
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今クールのアニメ3 −継続視聴ラインナップ−
東京MXテレビでやっていたアニメ「ひまわりっ!」を視聴。おお、これ良い感じだね!!(^^)
今クールのアニメ第一回も大体見終わったところで最後に良作きたから嬉しいなあ。
「ひまわりっ!」は忍者学園を舞台にした作品だけど、忍者学園だけあって在校生の
新入生&新入先生いじめが洒落になってないレベル(普通に死ぬレベル)なのに笑った。
いやあ、こういう山田風太郎風味のブラックユーモア的えげつなさが私もうメッチャ大好き!!
可愛い顔したロリロリ女の子忍者がみんな非情かつ卑劣な手も平気で使うえげつなさが、
「これがくのいちだ!!」って感じで、いいなあ。私は山田風太郎の忍法帖シリーズとか
カムイ伝とか大好きで子供の頃いつも読んでいたから、命のやり取りをしないぬるい忍者物
は読んだり見たりしても物足りないんですね。苛烈かつ残酷かつ非情、それが忍びの掟!!
以前放映した甲賀忍法帖が原作の「バジリスク」はこの容赦のなさが描けていてとても良かった。
ヒロインの忍者役の声優さんも、拙いけれど良い感じだなあ。ノエインのヒロインの声優さん
もそうだったけど、こういう「まだ演技が素人の女の子が一生懸命頑張って演技してます!」
みたいな感じの声にも、最近は魅力を感じるんですね。ひまわりの役柄とも感じがあってるし。
あとは「桜蘭高校ホスト部」が良かったかな。ひょんなことからホストをやることになった
男装の女の子の話ですけど、この女の子が物凄くテンション低いんで、ダウナー系というか、
一種独特のまったり感があって、丁寧に作られていることもあって、まったり見るのに最適。
いやあ、これなら次回も楽しみ楽しみ。今クール見るアニメは「西の善き魔女」や
WOWOWのアニメはまだ未視聴につき保留ですが、ざっとこんな感じのラインナップに。
「ゼーガペイン」「ARIA The NATURAL」「スクールランブル二学期」
「吉永さん家のガーゴイル」「プリンセス・プリンセス」「まじかる?ぽか〜ん」
「彩雲国物語」「夢使い」「女子高生」「ひまわりっ!」「桜蘭高校ホスト部」
以上の11本でいまのところ決定かな。上記作品、第二回、第三回と楽しみにしてるよ(^^)
参考作品(amazon)
山田風太郎「くのいち忍法帖」
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今クールのアニメ2
今クールのアニメは本数があり過ぎて、本当に見るのが大変ですね(^^;
ダメだな〜と思う作品は容赦なく切ってゆく、そんな選抜をくぐり抜けた
優れた作として先日「ゼーガペイン」「ARIA The
NATURAL」「スクールランブル二学期」
「吉永さん家のガーゴイル」「プリンセス・プリンセス」「まじかる?ぽか〜ん」
を挙げましたが、今回またそれにこれはイイ!!と思う以下の作品を追加(^^)
「彩雲国物語」 「女子高生」 「夢使い」がイイ感じですね〜。
彩雲国物語は久々にBSアニメの底力を見せられたって感じで、今クールのアニメで
一番丁寧な作りがされている作品ではないでしょうか。主人公の紅秀麗がとても
魅力的で、この作品は原作小説が若い女の子に大人気らしいですが、それは凄く好感が
持てることだなあと思ったよ――。日本の若い女の子達が本作のような元気で魅力的な
若い女の子が主人公の小説を好むってのは、素晴らしいことと私は思いますね――。
「女子高生」は元気一杯でちょっと下品な女子高の女子高生達の何気ない日常を
コミカルタッチに描いた作品で、「マリア様がみてる」のような、現実には絶対に
ありえないレベルで女子高という機構と女子高の女子高生達を完全神格化し、
究極まで彼女達を美化した幻想的な作品よりも、本作のような、人間らしい欲望を
一杯持った生身の女子高生の姿を描いている作品の方が、私はヒロインに
人間らしさを感じられて好感が持てますね。「マリア様がみてる」に出てくるような
究極まで美化され、神格化されたように描かれるヒロインには魅力を感じませんが、
本作のような、男の目が届かない女子高だと、生活がお気楽化しちゃうような、
生身の欲望を持っていると感じさせるヒロインには、私はとっても魅力を感じるな(^^)
「夢使い」は、個々の抑圧された性的欲望が意識の抑圧化から離れた夢という形で
現実世界に具現化する世界で、それを「夢使い」と呼ばれる精神分析医+拝み屋
のような人々が現れた夢を分析してお払いしてゆくフロイディアンが泣いて喜びそうなアニメ。
彩雲国や女子高生に比べると出来は落ちるかな…とは思うけど、それでも今クールには
数多い凡庸な諸々の作品に比べたら、相当出来は良い方なので継続視聴決定。
いやあ、追加した三つの中でも、彩雲国物語は本当に素晴らしかったな(^^)
小説版も読んでみることに致します〜。
参考図書(amazon)
雪乃紗衣「彩雲国物語」
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今クールのアニメ
四月に入り、新しいTVアニメが沢山始まりましたが…。………。
う〜ん、なんだかな…。今年の四月期の新アニメは大半が”粗製濫造”
というに相応しいアレレな感じのアニメで、ちょっと、がっくりきました…。
評価としてはこんな感じかな…。
見ていて面白く、素直に次回が楽しみだと思えた新作オリジナルアニメ
「ゼーガペイン」
エヴァの主人公が碇シンジではなく、鈴原トウジだったらどうなったか?という
感じの熱血ロボットアニメ。物語設定はエヴァを彷彿とさせるが、主人公が物事に
積極的な熱血漢なので、ロボットアクションも小気味良く、見ていて気分爽快。良い出来!
高い評価を受けた作品の続編。相変わらずハイクオリティで安心して見れるアニメ
「ARIA The NATURAL」 「スクールランブル二学期」
両作品とも前作同様、品質は極めて高く、安心して視聴できる。これも良い出来!
万人受けはしないかも知れないがなかなか面白いと思ったアニメ。今後も視聴リスト入り。
「吉永さん家のガーゴイル」 「プリンセス・プリンセス」 「まじかる?ぽか〜ん」
吉永さん家は、私はこういうアットホームライクな作品に弱いので好評価。
プリンセス・プリンセスは、女装美少年好きなので外せません。男子校の
妖しげな同性愛雰囲気をライトかつなかなか上手に描いていて、そこも好評価。
ぽか〜んは、ギャグアニメ好きだし、ぽか〜んと見るのに適しているから(笑)
以上が、今後も見ようと思ったアニメですが、その他の諸作の出来は…。
もちろん、放映されるアニメを全部見ている訳ではないけれど、それでも…、
………。なんていうか…。硝子の艦隊クラスだとあまりにも酷い出来が逆に笑えるけど、
そこまで突き抜けもしない、箸にも棒にも掛からない作品が多かったような気がするなあ。
今クールはアニメの製作本数が多すぎて、作品に人手が回ってない感じがしますね…。
製作を手抜きした三本の粗製濫造作品を作るよりは、その三本を作る力を
一本に集中して、丁寧な作品を仕上げてくれる方が、視聴者としては嬉しいです…。
良作アニメ一本は、駄作アニメが何本、何十本集まろうとも決して超えられない価値が
ありますからね。流れているアニメの本数が多くても駄作ばかりでは意味がない、
良作アニメをちゃんと放映してくれることこそが、アニメの視聴者としての願いですよ…。
ちなみにびんちょうタン放映終了以後、一番楽しんでいるアニメ作品はまず間違いなく、
東京MXテレビで再放映中の「機動戦士ガンダム」ですね。一話一話の密度が圧倒的。
ファーストガンダムを見た後、今クールの粗製濫造アニメ諸作品を見ていたら、
「老いたな、アニメ界」と思わず一言、口からこぼれたよ…(爆)
ファーストガンダムのような本当に優れた作品は時がたっても、ずっと楽しみを与えてくれる力を持つ。
ああ、TV版機動戦士ガンダムDVD-BOXの発売が私は楽しみで仕方ないよ\(^^)/
「美しいものが嫌いな人がいるのかしら?
それが年老いて死んでいくのを見るのは悲しいことじゃなくって?」
(ララァ・スン。「機動戦士ガンダム」)
参考作品(amazon)
「映画版 機動戦士ガンダム 第1巻」(DVD)
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エロゲ鬼畜道 −俺様の美学−
なんか最近は、旧エロゲ左翼残党の復活みたいな感じで、萌えて純愛がエロゲの全てみたいな
風潮がまた、高まってきているみたいな…。勝沼紳一様と緒方星四郎閣下と伊頭三兄弟を
リスペクトし、俺様の美学@臭作を座右のテーマソングとする私としては、こんな気持ち…。
「素人ならここで萌えゲーをプレイしだすんだろうが、俺ぁこの道十数年の変態エロゲオタ
マイスターだからよ……だいたいエロゲで純愛とかやり始めるとロクな事にはならねぇんだ。」
ちなみに今週はたっちーの鬼畜ゲー「Another Dimension」を購入。
(…ちなみに実はもう一つ購入したのもあってそれは純愛萌え系のホワイトサイク「かみさまの宿」…ごふんごふん(^^;)
…き、気をとりなおして、さあ、たっちーよ、鬼畜道を我が前に示すがいい!!(^^)
長き伝統の鬼畜道に永遠の栄光あれ!!
参考作品(amazon)
たっちー「Another
Dimension」
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エロゲのパラダイムは四年で交代する+α〔仮説〕
(元ネタ「美少女ゲームのパラダイムは4年で交代する〔仮説〕」)
エロゲを中長期的に支配するパラダイム(paradigm)すなわち「規範となるフォーマット」は,およそ
4年単位で動いておりそして新しい局面へシフトする――という仮説を経験則から導いてみました。
この他に,半年程度で短期的に変化する「流行り廃り」の波が,
長期的にはハードウェア面やOSレヴェルにおける「技術革新」の波があると思うけれど。
《田所と広崎と戦略的調教の時代》
・1994〜1997年
・PILの調教ゲーSEEKのヒットにより、ただエッチをするだけのエッチシーンではなく、
調教というゲーム性を持ったセックスシーンの重要性が理解される。
調教ゲーの金字塔、D.O.の「虜」の発売により調教ゲーブームは黄金期へ。
傑作調教ゲー「虜2」により調教ゲーは一つの極みに到達。
《メビウスと魔王と容赦なき鬼畜の時代》
・1998年〜2001年
・1999年、ノストラダムスの予言に書かれていた通り、死して邪霊として甦った
魔王勝沼紳一がエロゲ界に降臨。スタジオメビウスの作品「絶望」で鬼畜の限りを尽くす。
・メビウスの絶望のヒットで容赦なき鬼畜描写、過激な鬼畜描写が全盛期へ。
鬼畜を極限まで突き詰めた作品としてageから「螺旋回廊1、2」発売。
《卑語解禁と近親相姦解禁とエロエロ爆裂炸裂の時代》
・2002年〜2005年
・卑語ボイス描写が解禁。クローンドールで一世を風靡した
「チ×ポミルク」などの言葉がエロシーンで修正が入らずに
ガンガン使われるようになる。エロゲにおけるみさくらなんこつ化が進行。
女の子がどんどん積極的淫乱化。エロエロなシーンがどんどん進化する。
近親相姦描写が解禁されたことでYU-NOリメイクへの期待が高まる。ユーノとエッチうひょー。
《至福降臨マゾ受け黄金時代》
・2006年〜14006年
・ひよこ番長さんの新作「メイドになったボク」
により、パラダイムシフトが起き、マゾゲー黄金期を迎える。
エロゲーマーは新しい属性「M」に覚醒する。それに伴いエロゲの女の子は
「ヒロイン」ではなく「〜〜様」と呼ばれるようになる。
(例:「栞様は萌えるよね〜」「いやいや観鈴様が一番でござるよ」)
エロゲのヒロイン様の性格は全て「サド・ツンデレ・女王様モード」にスイッチ。
鞭縄ローソクアナルバイブがエロゲのヒロイン様が携帯する基本アイテムとなる。
ヒロイン様の靴&靴下カスタマイズシステムが大人気と(以下略
…ギャグなのであまりマジに取らないように(笑)
まあ、エロゲを語るならエロを抜きにはしないで欲しいとは、それなりに
十数年エロゲをやってきているエロゲーマーとしては思ってしまいますね…。
こういうのって一部分を切り取ることでなんとでも語れますからね。別にそれが
悪いとかは全然ないんですけど、あくまで一部分に過ぎないのは留意すべき面かなと。
例えば21世紀はロリ新世紀「はじるすの時代」とか云ってもいい訳だし(笑)
私ならば、エロゲを語るならエロメインで語りたいね!!
エロゲはやっぱり、エロが本道ですよ!!\(^^)/
ちなみに先日買ったひよこ番長さんの新作「搾って!ふたみるく」は
素晴らしいエロエロ作品だったので、「メイドになったボク」への激しい期待が、
ワクワクドキドキが止まらないよ!!(爆)
ああ、いかにして素晴らしい快楽責めの世界が…受けマゾシチュこそが究極の快楽!!!!
参考作品(amazon)
PIL「SEEK」
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六月危機と日本の命綱
イラン情勢などが急騰要因 原油先物価格でIEA(西日本新聞)
【ロンドン12日共同】国際エネルギー機関(IEA)は12日、4月の
石油月報を発表し、イラン核開発をめぐる情勢の不透明さなどから、
原油先物価格が1バレル=70ドルに向けて急騰しているとの見方を示した。
最近の市場で六月危機とか囁かれていますが、どうなんでしょうね…。
六月危機というのは、簡単に云うとイラン核開発問題の関係でイランから日本への
原油輸出がストップするのではないか、ということで、日本はイランの最大の
原油輸出先であり、日本の総輸入量の14%(イラン側からは22%)の原油をイランから
輸入している為、もしイランから原油が輸入できなくなると日本はとてつもない大打撃を
受けること必至。イランからの原油輸入がストップした場合、日本は石油備蓄を
取り崩してその分に宛てることになると思われますが、現備蓄量ではせいぜい
二年強しか持たないとみられていて…。本当に、この国の大ピンチになってしまう…。
石油がなくなれば、貿易立国かつ生活大国のこの日本国が滅ぶのは確実です…。
現在のアメリカの対イラン選択肢としては三つ、一つ目は国連・IAEAを通したイラン
との交渉、二つ目は国連を通さずにアメリカの意向に従う有志連合諸国によるイラン
への経済制裁、三つ目はイランへの軍事侵攻なのですが、4/12のNHKの「時論公論」
でのイラン核開発問題特集だと現在のところ、どうやら二つ目になりそうな公算が
高いとのことで…もし日本がイランへの経済制裁なんかしたら日本オワタに…。
まず軍事侵攻はほぼありえないでしょう。アメリカにそれほどの軍事的余力はなく、
また軍事侵攻説をリークしているのが米政府高官筋と見られることから、明らかに
イランを対話ステージに乗せる為のプレッシャー情報だと推測されるのが大方の見方。
国連・IAEAを通したイランとの交渉は中国・ロシアの反発が強く、ほとんど成果を
あげないと見られており、またこの問題では米に同調し強硬な姿勢を取る欧州諸国が
多いことから、有志連合による経済制裁の可能性は高まっていますが、日本は欧州とは
立場が違いますからね。日本にとってイランは極めて重要な原油輸入先であり、日本が
アメリカの意向に従ってイランを切ってもその分の石油をアメリカが代替してくれる訳
ではない。この問題については、アメリカが国連で永遠にゴタゴタしてくれているのが
最善ですが、例えアメリカが有志連合による経済制裁を打ち出したとしても、日本は
それに乗るべきではないと思いますね。石油がなければ何もできないのがこの世界の定理。
日本だってその定理に縛られた中で国家としての存続を願う国なのだから。石油は国家の命綱。
日本にとってはアメリカが何もしないでいてくれるのが最善なのですが…。
頼むからイランに何もしないでいてアメリカ…。
もしイランから日本への原油がストップすれば石油ショック再び、
せっかくの景気回復もアザデガン油田も日本の人々の生活も何もかもおじゃんになってしまう…。
アメリカ・EU・中国・インドがあらゆるエネルギー資源を抑える中、日本は何も出来ず…
そんな日本がただ一つだけ持っている貴重な原油資源がアザデガン油田なのに…。
…なんでこう…、日本は安全保障を約束されたアメリカの属国として、
いつもいつも一生懸命に全力でアメリカの為に尽くしているのに…
…いつもいつもアメリカが日本に出す無理難題は難易度高すぎ…
…米は既に世界帝国なんだから、属国をいじめないでローマ並の寛容さを持ってくださいよ…orz
ギボンが描くローマにいじめられる属国民の気持ちがなんだか分かる気がしてきた…(ToT)
参考作品(amazon)
萩田穣「石油の経済学」
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ARIA −究極の楽園−
TVアニメーション「ARIA」公式サイト DVD「ARIA」(amazon)
これほど甘やかな、これほど美しいまぼろしは、かつて誰の夢にも現われたためしがなかった。
彼が見たのは、まさにそのような光景であった。それは空と星々の神秘のごとくであり、
眼前に生起することごとくはあたかも鏡に映ずる光景のようであった。
黄金の焔の満ち溢れた燈明な気圏へ、身体ごと運ばれたような心持であった。
(タッソー「解放されたエルサレム」)
ARIAセカンドシーズン「ARIA The NATURAL」を視聴――。
今すぐ俺を惑星アクアに
移住させてくれえええっ!!!!
あふうっ!!どうすれば移住できるんだ?霞ヶ関の外務省本庁舎に駆け込んで
惑星アクアへ移住させてくれとジタバタしながら絶叫すればいいのか!?←間違い
なんで、惑星アクアはこんな素晴らしい楽園なんだ…。完璧すぎる。
神秘に包まれた完璧な美しい世界――!!究極の楽園。悠久の天上世界――。
おお、魂よ、なにものにも制止されることはなく、私は御身と、御身は私と、
世界をめぐる航海をはじめよう。
人間の、人間の心の大洋への帰還を、
人知の太初の楽園へ、
立ち帰ろう、智慧の誕生へ、無心の直観へ、
ふたたび新しい創造を果たしながら。
(ホイットマン「インドへの航路」)
参考作品(amazon)
DVD「ARIA」
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早川文庫のハードSF「コラプシウム」の絵柄があまりにも狙い萌え過ぎる点について
今日は本屋に行って本を見ていたら…平棚に並べられている早川文庫SFの新刊見て吹いた

ウィル・マッカーシイ「コラプシウム」
………早川はついに気が狂っ 早川は萌えに目覚めたのですね。
ティプトリーの「星ぼしの荒野から」の表紙を見た時から、いずれこのような日が
来るとは覚悟しておりましたが、こう…なんというか…高値の花だと思っていた女の子
が実は売春宿で卑語をのたまいながら激しく淫乱振りを披露しているのを見てしまった
時の気持ちというかなんというか…(笑)なんというのか…絵柄がライトノベル系の
爽やか萌えタッチというよりは、こうなんというかむっちりむにむにな肉感を感じさせる、
フランス書院美少女文庫とか、パラダイムとかの、エロ萌え系の小説の絵柄なのが…
絶対領域なこのふともものむにむに感が、もうなんつーか、エロすぎてエクセレント!!
早川書房は立派なSF界のエロゲ屋さんもといフランス書院になったのだなと感無量――。
ちなみに私としては爽やか絵柄よりこういう萌えエロ絵柄の方が好きです。アトリエかぐやとか大好きだし。
ちなみに小説自体はヒロイック・スペースオペラとして中々面白いのですが、どうしても
キャラやシチュエーションが読んでいると萌え転換されてゆくので、複雑な読み心地でした(笑)
あ、あとはぜひ、荒神伊火流先生のSF作品を早川文庫JAでリメイクして欲しいです!!
あれは「××の××」シリーズとはちゃんと世界が繋がっているのだからぜひ復(バキューン
参考図書(amazon)
ウィル・マッカーシイ「コラプシウム」
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アニメ「SoltyRei」 −親子−
ソルティレイ公式サイト DVD「ソルティレイ」(amazon)
ソルティレイ最終回視聴――。うああ…涙が溢れて…
こんなラストされたら最高の神アニメだったと叫ぶしかないじゃないかバカヤロウ(TvT)
凄く、良かったですね。かしましの超ED「あのね」エンドとは大違いの、素晴らしい終わり方で、
長いこと見ていたTVアニメが終わる時、こういう素晴らしい見事な終わり方を見せられると…(涙)
やっぱり、このアニメを見ていて良かったな、長いこと見ていて良かったなと思いますね…(^^)
ソルティレイは、SFとして見ると色々穴だらけのところもありますし、物語展開がやけに
強引なところもありますけれど、それでも、24話掛けて、長い間じっくりと、主人公のロイ
とヒロインのソルティが、一緒に暮しているうちに、だんだんと同居人から、本当の親子に
代っていく姿を描いているからこそ、最後のソルティとロイが、物凄く、胸に染み入る…。
AIRなんかも一生懸命描こうとしていてた、例え血縁関係がなくても、本当の家族になれて、
そして本当の親子になれるんだ、親子の絆を結び合うことが出来るんだということを、
真摯に描いた労作と云えると思いましたね…。最終話の、世界の存亡よりも、娘であるお前が
一番大切なんだ!!というロイの気持ちが、見ている私にも、強く共感できるものとして訴えて
くるのは、この作品が、長い間を掛けて、親子の絆を深めるということをじっくり描いていた故。
いい親父が娘に「世界よりもお前が大事だ!危地へ行くな!!」と懇願している姿は傍目から
見たら、凄くみっともないと思うんですけど、その姿がみっともなく見えない、いや、むしろロイと
同じ想いで心を打つのは、絆というものの、不思議で、素晴らしい力だと私は思いますね…。
ソルティレイ、良い作品でした。まだ見ていない方がいらっしゃいましたら、ぜひ視聴をお勧めします。
参考作品(amazon)
DVD「ソルティレイ」
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かしまし −で、フローラとビアンカどっちを選ぶんだ?−
三角関係におかれた二人の人間は、(選択権を持つ)一人の人間――漱石に
おいては女である(かしましにおいてははずむ)――の恣意に従属させられる。
女が残酷なのではなく、悪意があるのでもない。関係あるいは場所が、彼女を
そのように(自然に選択対象の二人を傷つけるような存在に)するのだ。………
(三角関係において)さらにいえば、(女からの選択対象にされる二人の)
男の「愛」は、(恋敵である)もう一人の男がいるから燃えたったのである。
すなわち、三角関係はけっして特殊なものではなく、あらゆる「愛」――
あるいはあらゆる「欲望」は三角関係においてある。むしろ関係とは
(価値に対比を生じさせる機能を持つ)三角関係として生じるのだといってもよい。
(柄谷行人「漱石論集成」)
かしまし、結局のところ主人公のはずむがやす菜を選んでとまりは振られちゃった訳ですが、
これ、どっかで見たことあるな、dejavuを感じるなと思っていたら…。
「で、フローラとビアンカとどっちを選んだんだ?」(Silicon
Fiction [re]さんより)
そうだ、この感覚だ!!DQ5でのこの感覚、フローラとビアンカだよ!!
はずむ=勇者 フローラ=やす菜 ビアンカ=とまり
物凄く、腑に落ちた!!これだった、dejavuの正体はこれだった!!
学生時代を思い出すなあ…。DQ5発売後、クラスがビアンカ派とフローラ派に分かれて、
私はビアンカ派だったんですけど、ビアンカ派は「あそこでビアンカを選ばない奴は
人間じゃないよな」「ずっと一緒に旅してきたんじゃないか」「ビアンカ大好きにょ!」
みたいな、私も含めて、ちょっとバカっぽいラテン系のノリの奴が多かったんだけど…、
フローラ派は「イオナズンが使えますから」「ぷ、ビアンカ?フローラのステータスは
ビアンカを全て上回っていますが何か?」「ビアンカは貧乏な平民女」(※ビアンカも
フローラも本当は天空人)「フロ―ラは高貴な貴族」「気品が違うんだよ気品が」
みたいな感じで、インテリスノッブみたいな連中が多かったですね…。
まあ、別にビアンカ派とフローラ派で喧嘩していた訳ではないけど、それでも、
なんというか、ビアンカ派でとまり派の私としては、凹むなあ…。
もしも、私がはずむだったら、絶対にとまりんを選んでいますよ。私、とまりん
みたいな子大好き。不器用で、そして優しすぎて自分より周りを優先しちゃうような、
こういう女の子がいると幸せにしたくなる。DQ5で、ビアンカが、勇者とフローラ
の方がお似合いよみたいなこというシーン思い出した。それは、フローラが大金持ち
の綺麗なお嬢様だから、ビアンカが自分の気持ちを押し殺してあえて云ってる訳で、
久美沙織さんのドラゴンクエスト5だとビアンカの気持ちとかしっかり描写されてて
良かった…。そして、久美さんの小説でも、私のプレイでも、ビアンカを選んだよ…。
だけど、はずむは、フローラやす菜の元に走った…。マジで凹むなあ…。
私は、とまりやビアンカみたいな、優しすぎて、自分を苦しめてしまう程の優しさを持っていて、
そしてそれでも自分の優しさや思いを曲げない、強くて凛々しい女の子を、幸せにしてあげたいな…。
とまりが、新しい恋を見つけるなり、なんなりして、新しい情熱に向かって、幸せになることを願う――。
参考作品(amazon)
柄谷行人「漱石論集成」
スクウェア・エニックス「ドラゴンクエスト5 天空の花嫁」(PS2版)
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信じられない
はずむが、とまりんを振った!!
俺の大好きなとまりんを!!どう考えてもとまりん>>|絶対超えられない壁|>やす菜
じゃないか!!ありえないありえないありえない!!!なにこれ…。とまりん!!(号泣)
「あたしのことは気にすんな。自分で決めてくれて、嬉しかったよ。
はずむはいるから、あたしのなかに。」
とまりん…うああああああああああああああああああああああああああ!!!!(ToT)
ありえない。ありえないだろ…。
「……いっちゃ……いっちゃやだ……」
よしきた、はずむ、とまりんに乗り換えるんだ!!これがラストチャンスだぞ!!
「……やす菜が……待ってる……」
うあああああああああああああああああああああああああ!!
こういうこといっちゃうのがとまりんだった!!
なんでこの子はいつもいつもいつも自分を殺して、周りに尽くしちゃうんだ!!
実は常に自分のことしか考えていないスーパーエゴイストやす菜と違って
この子こそ とまりんこそ ほんとうに はずむと一緒に幸せになるべきだよ!!
しかし、はずむはやす菜のところに走って行っちゃいやがったああああああ!!
くああああああああああ!!
なんてことだあああああああ!!
とまりん とまりん とまりん
まじ なみだ でてきた とまりんが かわいそう すぎる
どうかんがえても とまりんの方が いい女 最高の娘さんなのに
やす菜なんかとは まったく比較にならない 最高の女の子なのに
うあ あああああああああ
おれの すきなのは とまりん
とまりんだいすきだよ!!
参考作品(amazon)
DVD「かしまし ガール・ミーツ・ガール 第1巻」
桂遊生丸「コミック版 かしまし ガール・ミーツ・ガール 第1巻」
桂遊生丸「コミック版 かしまし ガール・ミーツ・ガール 第2巻」
桂遊生丸「コミック版 かしまし ガール・ミーツ・ガール 第3巻」
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この現代において、もっともかけがえのない作家が……
我々が作りつつあるのは、より新しく、
より豊かな、より恐ろしい天国と地獄なのである。
(スタニスワフ・レム「高い城・文学エッセイ」)
私の大好きな作家、スタニスワフ・レムさんが、お亡くなりに…。
スタニスワフ・レム氏死去(読売新聞)
ショックで、言葉がでないよ…。もう、呆然として…。ああ、これから
私達レムリアンは一体どうすればいいんですか、レムの伝道師kimagureさん…。
マジで…ショックだ…。レムは永久に存在するような気がしていたよ…。レムみたいな
作家、他には誰もいないのに…。代替が絶対に効かないかけがえなき作家が失われた。
心から、お悔やみ申し上げます。
この言葉を持って、本日のお話を締めくくらせて頂きたいと思います。
ご清聴、どうもありがとうございました。
(スタニスワフ・レム「完全な真空」)
参考図書(amazon)
スタニスワフ・レム「高い城・文学エッセイ」
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国家と萌えの想い
今日(3/27)、テレ朝のニュース番組「Jチャンネル」を見ていたら…。
萌え系防衛白書が大人気!!と、PM6:00から放映しておりまして…、
なんじゃこりゃと見ていたら、萌え系の「まんが防衛白書」が大人気で売上増、
2ちゃんねるや秋葉系ブログで取り上げられたことも一因とか…、こ、これは…
にゅーあきばどっとこむのことかーーーっ!!!
いやあ、国防も萌えの時代になるとは良き哉良き哉。萌えとはユーモラスな「もののあはれ」
であると思いますし、日本という国家の前提以前の自然体として在るものに通じ合っている
深い感性だと思いますね。そういったものが感じられるのは良きことだなあと思います。
finalventさんが国家を閉鎖的な機能論として捉えることを批判されておられますが、
私も同感です。国家は、国家以前の繋がりの想いへの想いから立っていると思いますね。
そして、そういったものは、人間に対する滑稽な優しみのなかにしか捉えられぬものと思う。
このようなイロニーを、我々はヘフディングにならって「ユーモア」と呼ぶことができよう。
このような用法は、時としてイロニストが拒否することのある、親切さ、愛情のある善良さ
というニュアンスを、この「ユーモア」という語に与えることになる。峻烈なイロニーには、
寛大さを弾き出してしまう、ある種の悪意や痛烈な皮肉が込められている。
イロニーは時として、にがにがしく、軽蔑的で、攻撃的である。それに反し、ユーモアには
同情がないわけではない。それは真の「理性の微笑」であって、咎めでも、あてこすりでもない。
人間嫌いのイロニーは人々に対して論争的態度をとっているのに対し、ユーモアは面白おかしい
ことと両立する。ユーモアはひそかに滑稽さと共犯関係を結び、なれあう。堅苦しい、粗野な、
衒学的で、彼等の「月の光」にいたるまで地方ブルジョワ的なドイツのロマン主義者達よりも、
このイロニーのやさしいユーモアを体現しているのはハインリッヒ・ハイネである。
ユーモアとは開かれたイロニーである。なぜなら閉じたイロニーが教化するのを望まない
とすれば、開かれたイロニーは究極的には、相互理解と精神共同体の原理となるからである。
(ウラディミール・ジャンケレヴィッチ「イロニーの精神」)
いつしか夢は 色あせ消えて いとしいひとの 姿も失せた
熱いこころを 捧げて書いた あまいしらべの うただけ残る
(ハインリッヒ・ハイネ「歌の本」)
秋過て、草はみながらかれはてゝ、さびしき野べに、たゞ尾花のかぎり、
心長くのこりて、むら/\たてるを、あはれと見て、よめる、
かれぬべきかれ野の尾花かれずあるをかれずこそ見めかれぬかぎりは、
かゝるすゞろごとをさへに、とり出たるは、
みむ人、をこに思ふべかめれど、よしやさばれとてなん、
(本居宣長「玉勝間」)
参考図書(amazon)
ウラディミール・ジャンケレヴィッチ「イロニーの精神」
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アニメ「落語天女おゆい」 −善良さの力−
「落語天女おゆい」公式サイト DVD「落語天女おゆい」(amazon)
アニメ「落語天女おゆい」が本日(3/26)最終回を迎えましたね…。
終わってしまうのはとても残念だけど、本作は凄く、面白かったよ!!
今クールのアニメでは「びんちょうタン」「ノエイン」「おゆい」が私に
とっての御三家、三本柱という感じで、一番楽しめていた作品でしたからね。
特に「落語天女おゆい」は「びんちょうタン」「ノエイン」がクオリティで
勝負しているのに比べると、明らかに出来に差がある、完全にB級な作品でしたが、
だけど、全体を通して凄く楽しめた作品、B級作品はかくあれ!という感じで(^^)
「おゆい」は、まあなんていうか、ぶっちゃけて云えば和風セーラームーンな作品。
良い意味で初代セーラームーンのいいとこどりをしているって感じで、作品全体の
クオリティよりも、キャラクターの魅力を全面に押し出す事で勝負していて、そして
それがとても上手くいっている。おゆいに出てくる主人公の唯は素直で明るくて、
そして人の為に一生懸命になれる、落語家を目指す凄くいい子で、そして彼女の
仲間達も、みんな凄く良い娘ばかりなんですよね。やっぱり、女の子が一生懸命
頑張ってる姿、特に善良な女の子が、その善良さの持ち味を発揮して世の中の為に
頑張っている姿を見せられると、爽やかな風に吹かれたように心が動いちゃいますよ(^^)
物語の展開や作画レベルとかは正直、上手いとは云えないレベルだったけど、それでも、
本作はとても楽しめた作品でしたね。善良な女の子が頑張ってる姿というのは、無敵だと
思ったよ。ただその姿を見るだけで、心が明るい方向、笑顔の方へと動かされてゆく――。
最後に、本作は良き言葉、良き言霊の話でしたので、私もここで言葉について一席。
「妙なる」とは、言葉で表せないほどすばらしい霊妙な不可思議さを意味する言葉です。
そして、「少女」(「少」「女」)と書いて、「妙なる」(「女」「少」)なんですね。
お後がよろしいようで(^^)
参考作品(amazon)
DVD「落語天女おゆい」
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赤十字、メイドさんのマッサージ付「メイド献血」秋葉で開始(ヤフーニュース)
メイド献血をやっているメイドさんのマッサージ店「くろすろーど」公式サイト
なんというか…萌えるとかそういう感覚の前に、赤十字のあまりにも涙ぐましい努力に心打たれる…。
「オタクだからこそ女の子をまもります」とか云うならば、まずはこういうところに率先して
参加するのがいいと思うな。献血すればオタクの血が美少女の命を守る為に使われるんですよ。
自分の血が美少女の命を救うなんて、まさにオタク冥利につきるってもんじゃないですか。
百の言葉よりも、一の実践の方が遥かに価値があるのが実生活というものですからね。
「私達は有益だーー!!」と叫んでる百人のオタクよりも、黙って静かに献血している
一人のオタクの姿の方に心を動かされるのが、人々の心というものですよ。
私も体調の良い時は献血してますよ。
もし、メイド献血がオタクが集まらずに失敗とかだったら、日本のオタク文化に、ちょっとがっくりだな…。
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びんちょう音頭 −日本の宝−
門脇舞「びんちょう音頭」(amazon)
びんちょうタンのEDテーマ「びんちょう音頭」を今始めて聞いたけど、とてつもなく素晴らしいね…。
音頭は日本の宝だよ。こんなにも、音頭に心動かされる日が来るとは自分自身が驚きだよ…。
ああ、私は感動している!!この感動は私自身が唄いながら踊ることでしか表現できない!!
おはよう歯磨き
びんびんびん! びんびん
元気にびんびんびん!♪
樫の木 さらさら こんにちわ〜♪ 太陽さんさん
イイ天気〜♪
今日も街まで出かけますぅ〜 仕事が入れば行っちゃうよ〜♪
ぼんやり顔したびんちょうタン 見た目に似合わずあちちのちっちっ!!♪
びんちょうタン〜♪ びんちょうタン〜♪ 頑張りやさんのびんちょうタン〜♪
びんちょうタン〜♪ びんちょうタン〜♪ 誰かが待ってる呼んでいる♪
今、モニタの前で唄い踊っているよ!!
素晴らしい。この唄が「ドラえもん音頭」のように各地の祭りで流されて、
みんながこの唄に合わせて踊ることを思うと、ああ、その情景は、なんて感動的!!
この、まだ見ぬ風景にもかかわらず胸が一杯になるような郷愁の想い…。暖かい。
早くカラオケに入らないかなあ。びんちょうタン!!って早く絶叫したいよお(^^)
よし、私はびんちょうタンの幸せを願ってびんちょう音頭を踊りまくる!!踊り狂う!!!!!
お水をきれいにしんしんしん お米がたっちゃうびんびんびん〜♪
ぽかぽかあちあちふ〜ふ〜ふ〜♪ 炊きたてご飯の出来上がり♪
今日はどうやら〜お祭りだ〜♪ たこ焼き ワタ飴 チョコバナナ〜♪
どこにあるのかリンゴ飴♪ 違うよ逆だよそっちじゃないよ〜♪
びんちょうタン〜♪ びんちょうタン〜♪ 涎が垂れてるびんちょうタン〜♪
びんちょうタン〜♪ びんちょうタン〜♪ あっちで呼んでるリンゴ飴〜♪

参考作品(amazon)
門脇舞「びんちょう音頭」
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TVアニメの信頼の崩壊 −未放送最終話DVD商法−
今クールのアニメは最終回周辺を未放送にする作品が多いみたいですね…。
以下、「冬枯れの街」さんの2006/03/09のブログより二次転載。
499
名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で
投稿日:2006/03/05(日) 00:11:02 ID:JarkVXfh
今回後のほう放送なしという番組多いな。
蟲師はフジテレビ最終までの6話未放送(CS系ではやると思われる)
IGPXはテレビ朝日最終話付近2話未放送(CSではやると思われる)
SoltyReiがテレビ朝日最終話付近2話未放送(DVDかgyaoで放送と思われる)
びんちょうタンがTBS最終話付近3話未放送(BS-iで放送)
RecはTBSでは最終話未放送(BS-iで放送)
あまえないでよ!!喝!!が最終話未放送(恒例の乳首つきDVD)
かしまし〜ガール・ミーツ・ガール〜最終話未放送(DVDのみと思われる)
…マジかよorz
びんちょの未放送も大ショックだったけど、「蟲師」も「SoltyRei」も「かしまし」も
毎回楽しみに見てるのに、TV未放送って…。ちょっと、これ、ひどすぎないかなあ。
TV放送でわざと最終回を流さずに、最終回をDVDで発売するような商法は許せませんね。
どうしてもTV放映枠の時間が取れなくて、結果的に最終回を流せなくなるとかなら、
それはそれでしょうがないと思うけど、DVDの販売の為に、わざとTV放映を中途半端に
終わらせて、残りはDVDでのみって、やり方が汚くないですか。こういう閉鎖的な囲い込み
商法をやっていると、かえって逆に視聴者から見放されますよ。TVをDVDを売る為の道具に
している訳で、TVアニメを見るという思いで視聴している視聴者に対して実に無礼な話です。
一番アンフェアだと思うのは、放映当初は「このアニメはDVDを売る為に最終回近辺を未放送に
しますよ〜」なんてことは決して告知しないで、視聴者が「ちゃんと全話放映するだろう」って
予期の元に番組を視聴しているのに、最後の最後でDVDの売上の為に無理やり打ち切りにして、
「本アニメのTV放送はここで終わり!残りをみたい人はDVDを買ってね」みたいなやり口で、
視聴者の予期、いわばTVアニメに対する信頼を裏切っているところが、本当に腹が立つ。
びんちょは凄く好きな作品だから身銭を切ってDVDを買う予定だけど、他の番組のDVDは
買うつもりないし、そこまでお金が元々ないし…(涙)「蟲師」も「SoltyRei」も「かしまし」もTV放送では
中途半端なままでしか見ることが出来ないのかと思うと、アニメ製作側に酷く裏切られた気分です。
参考作品(amazon)
DVD「びんちょうタン」
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アニメ「タクティカルロア」 −Private
Military Company−
「タクティカルロア」公式サイト DVD「タクティカルロア」(amazon)
「遊びでやってるんじゃないんだよ!!」
(カミーユ・ビダン。「機動戦士Zガンダム」)
私が毎回見ているアニメの一つに近未来の海戦を物語にした「タクティカルロア」が
あるんですが、今回、始めて主人公達の乗っている艦に戦死者が出ましたね…。
普通の戦争物なら、戦死者が出るのは、ある種当たり前なんですが、本作は
設定が特殊で、もしかしたらご都合主義的に戦死者を出さない展開にするのか
と思っていたので、ちゃんと戦死者がでたことは、物語としては評価しますね…。
本作は“haru-nico”という警備保障会社…というより、実質的には戦争請負会社
以外の何物でもない企業の所有する戦艦パスカルメイジを舞台にした海戦物ですが、
特殊な設定として、この戦艦のクルーは全員若い女性なんですね。なんで戦争請負会社
が戦艦のクルーを全員若い女性にしているのか、全く理解に苦しみますが、そういう
設定でして…、で、この戦艦に乗り組むただ一人の男性として民間企業から派遣
された技術者(コンピュータシステムメンテナンス員)の主人公が、若い女性クルー
と仲良くなりまくる(船内はハーレム状態)という、あかほりさとる氏っぽい展開
になるのですが、正直、これはどうかなという感じで…。
あかほりさとる氏の作品は女性が戦争する展開が多いですが、ただ、サクラ大戦シリーズや
らいむいろシリーズとかだと、戦う女性が戦闘に適したなんらかの超能力とかを持っていて
なおかつ、女性に戦う目的がある、それは国を守るためとか、愛する人を守るためとか、
我々物語の受け手側が共感できるような理由がある訳ですが、本作においてはそれがない。
物語に出てくるクルーの女性達は、普通のOL気分のようにしか見えない描写が大半…。
戦争請負会社という営利企業の為に、彼女達は戦艦に乗って実戦をやってる訳ですが、
それって結局、金の為に戦う傭兵行為な訳ですよ。しかも、この戦艦パスカルメイジは
これまで実戦で一度も死傷者を出していない、優秀な戦艦という設定で、戦艦内で
ただ一人の男性である主人公が物凄く能天気にモテまくるかっる〜い話ばかり続いて
いたので、ちょっとこれ、戦争を舐めてるのかと。こんな悪い意味でのファッション
みたいな感じで戦争物をやられたらたまったもんじゃないなと思っていたんですね。
まあそれでも本作を見続けていたのは、海戦シーンの出来がかなり良い故、この辺は
ガンダムシリーズの製作で戦争物は手馴れているサンライズ製作だけのことはあって、
見所のある海戦シーンということが、まあ視聴させる原動力になっていたのですが…。
(追記:製作はサンライズかと思っていたら、サンライズじゃなくてアクタスって会社だったです(^^;)
今回、海戦によって始めてクルーに死傷者がでて、他クルーは戦闘不能状態の艦を捨て退避
しましたけど、故になんというか、やっと当たり前の、ちゃんとした物語になってきたなと。
戦争請負会社に入って戦争するってことはいかに理由をつけようと結局のところ、
金の為に戦争するってことで、そういった行為は、女性にはやって欲しくないという
のが私の望むところですね…。勿論、これは私の身勝手な願いですが、それでも、
次代に命を繋ぐ女性という存在には、戦争に戦闘員としては参加して欲しくない。
まだ、理念ある軍隊における戦闘、人々を守る為に戦うというのなら、なんとか、
それが本人の意志ならばそれを認めざる得ないと思います…、けれど、女性が戦争
請負会社に入って戦争するというのは、私としては、凄く、嫌な感じなんですよね…。
戦争になれば、必ず人が死ぬ訳ですよ。誰も死なない戦争などない。
その辺を安易にしたまま、いわゆる「アニメのお約束」に従って、戦争請負会社の
兵士を全員若い女性にして、ヌクヌクとした感じの戦争をやらせるなんていう、
現実の戦争に対しても、虚構の物語の戦争に対しても、どちらにも不誠実なことは
やって欲しくないと思っていましたが、今回の戦闘でクルーに死傷者が出て、
少なくともこれで「ヌクヌクとした戦争」から、「傭兵屋の戦争」になってきて、
それは評価できるかなという感じですね。戦争を描くなら、人の生き死にから
逃げずにしっかりと描いて欲しい。特に、この作品は「傭兵の物語」なのだから。
「なッ なんでだよッ なんで人を殺したりするんだよッ」
「傭兵が何のために? 金だよ。
俺達が戦った連中の目的は、主義や主張、体制の打倒や
体制の維持のため、侵略のため、防衛のため、故郷のため、
家族のため、女のため、麻薬のため、食いもんのため、いろいろだ。
俺達にはそういうのわかんねえ。大事なことだってのはわかる。
でもそういうの、別に銃を取らんでもなんとかなるんじゃねえの、と思う。
つうか銃を取ることに、そういう意味なんか必要なのか?
二束三文のはした金で十分じゃねえのかと思う。
逆にいえばだ。二束三文のクソ駄賃が俺達にとっては
命を賭けるのに足りてしまうんだ。
二束三文の金で世界中の鉄火場あっちゃこっちゃ出向いてって
二束三文でブッ殺したりブッ殺されたり
しかも誰にいわれたワケでもなく好きこのんでだ。
戦場での二束三文の方が自分の命や他人の命より重い」
(平野耕太「HELLSING 第六巻」)
参考作品(amazon)
DVD「タクティカルロア」
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ミニコラム「おねえさま欲しい −ふたなり百合キュアSexHeard−」
上記文章書いてて、ああ、自分はどうしようもなく変態だなあと思わずにはおれなかった…(爆)
書きながら「毛皮のヴィーナス」を聞いてたよ。暗闇の鞭の女の子。ヴェルヴェットを纏った女の子…。
豪奢な毛皮が似合う勝気で強気な女の子、男より遥かに強く美しい女の子、子猫さまや姫さまのように…。
そんな子の前に跪きたいという気持ちと、そんな子になりたいという気持ちは、通じ合ってるね…。
参考作品(amazon)
ヴェルヴェット・アンダーグラウンド「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコ」
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「ドラゴン・ファンタジー2」降臨! −史上最高のフリーRPG2!−
「CLONEGAMEPARTY」
(本作DLサイトさん、投稿作品その1からDL可能です)
フリーゲーム界に敢然と輝く究極至高のRPG「ドラゴンファンタジー」の続編、
ドラゴンファンタジー2をプレイ中――、ああ、
面白すぎる!!!!!
私のようなFF大好きDQ大好き、1からずっとリアルタイムでプレイし続けてきた人間には、
プレイしていて、胸が一杯になる気持ちが抑えられないよ…ああ!!最高だ!!!!!
いやあ、私の心のRPG、決して忘れること出来ぬ素晴らしき想い出のRPGは、
「ゼルダの伝説シリーズ」「ドラゴンクエストシリーズ」「ファイナルファンタジーシリーズ」
「女神転生&真・女神転生シリーズ」「メタルマックスシリーズ」「エストポリス伝記シリーズ」
「ヘラクレスの栄光シリーズ」「ワイルドアームズシリーズ」「闘神都市シリーズ」と色々あるのですが、
間違いなく「ドラゴンファンタジーシリーズ」も、それらに並んで我が心の殿堂入りが大決定!!
ああ、どうか皆様もよろしければ、ぜひ、ぜひにプレイしてみて下さい!!
本作では歴代のDQ、FF主人公が総集結しておりますが、
私はアリーナ姫様に萌え狂っております!!アリーナたん!!
戦士系にしてはちょっと弱めな感じだけど可愛いよアリーナたん!!
うはあ、姫君ィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ!!!!
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ライト・ライトノベル −公への想い−
「ライトノベル左翼・ライトノベル右翼度鑑定」をやってみました〜。
本検定における右左の定義の意味はよく分かりませんが、私はこのような結果が…。
私は別にライトノベルが嫌いってことはないんだけどなあ。小川一水の「復活の地」
とか、最高に燃える凄く大好きなライトノベルだし。………。やっぱりライトかな(笑)
私にとって良い意味でライト・ライトノベルと感じられるのは、「復活の地」などの作、
無倫理な現状を肯定するライトノベルの大勢に反して、公を大切にする心持つ人々を描く作、
公の価値を知る人々が、私と公、理想と現実の間に挟まれながら、なお自らの今出来る
選択を、公私の葛藤の中で真摯に引き受けてゆくような作品が、とても好きですね…。
遵守すべき社会形式と責務があったよき時代(江戸時代以前〜)の記憶に対置して、
漱石は混乱した現在(明治)の姿を描いた。(人間同士の繋がりとしての社会形式と
責務を捨ててしまった日本の)戦後小説家達は全ての人間的な絆が壊れてしまった
現在を、ただ平板に書くだけで、過去がよりましだったこと、いや過去がそこに
あったということすら、ほとんど、あるいはまったく意識していない。
「治者」という言葉で、彼(江藤淳)が何を指そうとしたのかは明瞭ではないが、
重ねて作家の社会的責任を強調したかったように見える。
(ローレンス・オルソン「アンビヴァレント・モダーンズ」)
私が好きな物語は、ライトノベルでいうと小川一水さんの作品なんか大好きで、
他にも福井晴敏さんの作品なんかも大好きですけど、それらは今思い返すと、
みんなどこか郷愁を誘う自然な懐かしさを、古き良き世界の暖かさを、人の魂の凛々しさを、
イデアルで伝統的な律を育てる心を、感じさせる人々が描かれる作品でありますね…
心に倫理律を持って、現実と葛藤しながら葛藤を超えて、決断する人物が、凄く好き…。
そういった人々に、高貴な輝きを、深い魅力を感じる。きっと、私の憧れなんだろうな…。
震えるまぶたを無理やりこじ開けるようにして、シマックはぎらぎら光る目でセイオを見た。
「いいか、心に刻み込め。わしの最後の言葉だ」
「最後だなどと――」
「聞け!これは帝国の危機だ。わし以外にも大勢の人間が死ぬだろう。ありとあらゆる勢力が
力と立場を替え、この機に乗じて横暴をほしいままにするだろう。だからおまえは……」
激しく咳き込み、血を撒き散らす。「閣下!」と抱き抱えるセイオの腕に、
万力のような力で指が食い込む。
「おまえは帝国を守れ。国を守り、人を守り、レンカを高く潔い国家に育て上げろ。
この国はまだ未熟だ。一歩間違えれば腐り果てるか、食い尽くされる。
若いお前が、なんとしてでもそれを防ぐのだ!」………
「まだ十年は先だと思っとったが……致し方ない。今くれてやろう。
セイオ・ランカベリーよ、イェーツ・シマックが汝を帝国高等文官に任じ、
ジャルーダ総督位を委譲する。後事を継げ」
(小川一水「復活の地」)
参考図書(amazon)
小川一水「復活の地 第1巻」
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コアファイターのおかげです −索敵の重要性−
連邦兵「コアファイターです」
マチルダ「さすが早いわね。しかし、あのジオンのモビルスーツ・グフには」
(機動戦士ガンダム)
東京MXテレビでZガンダム全話〜ファーストガンダム全話を放映しており、
毎週楽しく見ているのですが、先日(3/3)はアムロのあまりのクレバーな
パイロットとしての才能に驚愕したよ…。先日放映の回は「マチルダ救出作戦」
マチルダ補給隊のミディア輸送機編隊を助ける為に、アムロがコアファイターで
出撃するんですけど(ミディア輸送機が襲われた場所はホワイトベースから
180km離れており、ガンダムで出撃したら間に合わない為)コアファイターで
敵のドップ編隊とドダイ&グフ四機の注意を引き付けて、コアファイターの
バルカン砲でドップを撃破しまくりながらドダイ&グフも、コアファイターの
ミサイルを何発もグフの装甲の一番弱いところ(コクピット)に連続して当てる
という、神業としか云いようのない攻撃で落としているし…、コアファイターで、
ドダイ&グフを落とすなんて…凄すぎる。アムロ凄すぎるとしか、云い様がないよ…。
まあいくらアムロが天才的パイロットでも、コアファイターでドップ・グフ・ドダイ編隊と戦うのは
戦力的に無理なんで、最終的にはガンペリーで持ってきたガンダムパーツを使ってガンダム
に換装して戦う訳ですが、それでも、そこまでコアファイターで時間を稼げるのが凄すぎ。
いやあ…見ていると、明らかにZガンダムより、ファーストガンダムの方が
出来が良いですね。ファーストガンダムの面白いところは、コアブロックシステム、
特にシステムの中枢を為すコアファイターが、大活躍しているところで。
ファーストガンダムを見ていると、実はガンダムよりもコアファイター
の方が重要な兵器なんじゃないか、という感じがひしひしとしますね。
ホワイトベースとジオン軍の圧倒的な戦力差(たった一隻の戦艦で敵の包囲網の
なかを潜り抜けてゆく)の中で、どうしてそれが可能だったかを鑑みると、それは
艦長のブライトが常に敵の先手先手を読んで動いている、コアファイターで防空偵察
を欠かさずにして、常に敵の動きを把握して動いているというのが非常に大きいですね。
コアファイターって、足が速い上に偵察能力が高くて、そして戦闘も戦闘専用機並に
こなせる万能戦闘機ですから、まさにホワイトベースの要であると云えると思いますよ。
私がガンダムの方がZガンダムより面白いなあと思う大きな一因は、こういった
メカニズムの妙、防空偵察を欠かさずにすることで敵の動きを読んで、先に動いて
危機を脱するというのが、まさに軍略のセオリーという感じで凄く共感できるんですね。
Zガンダムになると、足の速い偵察機を使って偵察を欠かさないというよりは、
「このプレッシャーはなんだ!?」みたいな感じで、みんな超能力(ニュータイプ能力)
で索敵できちゃうんで(笑)、なんか、笑っちゃうんですよね。軍略も何も無い(^^;
ガンダムの場合は、ちゃんと兵器のメカニズムを持って戦っている感がちゃんと
するので、戦記物として凄く楽しめるって感じですね。毎回見るのが楽しいです(^^)
参考作品(amazon)
「映画版 機動戦士ガンダム 第1巻」(DVD)
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デスパレートな妻たち −グエーッ−
「デスパレートな妻たち」第一期シリーズ視聴完了…。
呆然となったよ…。何この、(゚Д゚)ハァ?な終わり方は…。茫然自失…。
なんていうか…、例えていうなら、ライオン仮面みたいな終わり方で…。
例えればこの最後のコマ↓で突然ドラマシリーズが終わったような感じなのでして…

フニャコフニャ夫先生の次回作にご期待ください!!
………。…まさしく、こんな感じで…。なんなんだこの終わり…。
メアリーアリスの謎はついに解かれた。しかし、本当の戦いはこれからだ!!
NHK海外ドラマ枠の次回作にご期待ください!
みたいな感じで、物凄く緊迫した、なんつーか、最終回の一話前くらいのところで、
話が唐突に途切れて、「デスパレートな妻たち 第一期 完」みたいな…。
しかも第二期シリーズのNHKでの放映予定は未定だし…日本語版DVDもでてないし…。
こんなのありかよ…。物凄い消化不良感に悩まされる…orz
「シリーズ放送の最終回で、ストーリーが中途半端な終わり方をするのはなぜ?」
欧米、特にアメリカで制作・放送されるシリーズドラマでは次シリーズの放送まで
数ヶ月あいだが空くのが通常で、そのあいだ、興味を惹きつづけておくために
意図的に、次に続くような、中途半端な終わり方をしています。日本ではあまり
とられない手法ですので違和感を感じられる方も多くいらっしゃるようですが、
欧米の人気ドラマシリーズでは時々使われる手法と、ご了解いただければ幸いです。
(NHK海外ドラマホームページFAQ)
グエーッって視聴者が叫びたい気分だよ…。うう…。
グエーッ!!
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トリノオリンピック閉会式 −良きナショナリズム−
良きものは生へ誘惑する。――全ての良きものは、生への強力な刺激剤である。
(ニーチェ「人間的、あまりに人間的」)
NHKでトリノオリンピック閉会式を見ていました。いやあ、素敵な感じですね(^^)
閉会式、まずは前座でカーニバルショーをやっていたんですが、その後、トリノオリンピック
最後の競技であった男子クロスカントリーのメダル授与式をやっていたんですね。
その授与式で、金メダルはイタリアの選手で…、その選手がメダル授与のとき、
流されるイタリア国歌を歌い始めたら観客席が自然にみんな一緒に国歌を歌い始めて…。
見ていてイタリアの良きナショナリズムというものが感じられて、とても良かったよ。
その後も、イタリア国旗を掲げてイタリア国歌が流される時も、みんな歌っていましたし。
オリンピックには良きナショナリズムとでもいうものがあるなあと感じたよ。
自分の属する、自分が愛する集団が他より勝って欲しいと思うのは自然な競争心
だし、そういった欲望を公正で平和的な方法で自己と自己の属する集団の質を
高める向上心に変えてゆくことは、とても良いことだと思いますからね。
私は公正な競争というのは、人間の、そして集団を高めて行く最高の方法だと
思っている。オリンピックのような方法で、世界各国が互いに腕を磨きあうのは、
人間のナショナリスティックな愛情を向上心と結ぶ、本当に素晴らしいことと思うな。
ちなみに日本の選手団は閉会式においてピエロの赤い鼻を付けており、世界中の
笑いものになっていましたが、あれは一体なんだったんだ…しかも、荒川選手だけを
肩車で運び、彼女が掲げる日本唯一のメダルを目立つように演出していて(閉会式に
おいてメダルを誇示しているのは世界80ヶ国の中で日本だけ!!)しかもあらゆる国の
選手団になぜか混ざって手を振っており、周囲の外国人達は哀れみかつ呆れたという
眼差しを向けながら日本選手達を失笑しているのですが…日本って一体何なの…。
この信じられない程の恥知らずな田舎臭さが日本のナショナルな本質なのかと思うと…orz
…日本選手団は…世界から…どんな風に見られるかぐらい…少しぐらい考えてください…。
オリンピックが平和への道、新たなる対話として続いていくことを祈っています。
(トリノオリンピック委員長、閉会式の挨拶)
参考図書(amazon)
フリードリヒ・ニーチェ「人間的、あまりに人間的」(上巻)
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アニメ「半分の月がのぼる空」 −死へ先駆けること−
「半分の月がのぼる空」アニメ版を全話視聴――。
う〜ん、冗長な小説版よりはアニメ版の方が上手く纏まっていて、出来が
良かったし、人間はいかなる状況下であろうとも、懸命に生きることが、
死すべき定めという観点から眺めれば、それは一つの救いとなるという
テーマは、その通りだと私も思いますけれど…。
ただ…。この作品、難病に罹っている里香の死を前提にしてしか語られて
いないのが、ちょっとびっくりだな…。以前もこの作品について同じような
ことを書きましたけど、里香以外の人間も、みな等しく死は免れない。
里香の恋人の裕一が、里香よりも先に死ぬことだってありえるし、生命の
一瞬のかけがえのなさは、難病の里香にとっても、裕一にとっても、死という
定めに規程されている、ゆえに双方ともかけがえのないものであることは同じ。
人は死ぬ。愛する者も死ぬ。自分も死ぬ。それは人間存在の定め。
ゆえに、この生ある時のかけがえなき一時一時を懸命に生きよう――。
ということだったら、それは私も思っていることですし、こういった
テーマが描かれていれば、評価したんですが、この作品の場合は…
里香はいずれ死ぬ。俺(裕一)にとってそのことはとても悲しいけど、里香の
幸せの為に、いずれ残される悲しさを堪えて、里香の為に生きよう。それが幸せだ。
みたいなテーマなんですよね。なんだかなあ…。主人公の裕一君は里香の
死については一所懸命考えても、自分が死ぬということは全く考えていない
(彼の命知らずな行動から見ても、それは明らか)ようですが、誰だって皆、
死ぬし、それは己であっても例外ではない。だからこそ、どんな一時一時も、
大切にしなければいけない、それに思いあたるとき、本当に、自ら生きる
一時一時が、かけがえなき、真の時間になるものだと、私は思いますね…。
里香は、そのことをちゃんと了解して生きている(死への先駆的了解)、とても強い子で、
それはすごく貴いことと感じるけど、それに比べて、恋人の彼は…、死から逃げている…。
彼が里香と支えあい、ちゃんと彼女を幸せにできるのか、ちょっと心配な終わりでしたね…。
世間はこの出来事(死)にたいして、一つの言い訳を常に用意している。死について
口にだして、あるいは言葉をはばかるようにして、世間が洩らす話の趣旨とは
《人はいずれ死ぬ。しかし当分は、自分の番ではない》ということなのである。
この《人は死ぬ man stirbt》を分析してみると、死へ臨む日常的な存在の在り方が、
まぎれもなくあらわになる。このような話のなかで、死は漠然と、やがてどこからか
やってくるにちがいないなにかあるものとして、しかし当分は自分自身にとっては
まだ実在的に存在していないから心配にはならないものとして、了解されている。………
(死への)先駆は、非本来的な《死へ臨む存在》のように、この追い越すことの
出来ない可能性から逃避するのではなく、かえってその可能性へ己を明け渡す。
己の死のなかへ先駆してこの死にむかって打ち開かれることによって、現存在は、
偶然のまにまに押しよせてくる有象無象の可能性の自己喪失から解放され、そして、
追い越すことのできない可能性の手前に控えているもろもろの事実的可能性を、
このことによってはじめて本来的に了解し選択することができるようになる。
(ハイデガー「存在と時間」)
「命をかけて君のものになる」
(半分の月がのぼる空)
参考作品(amazon)
DVD「半分の月がのぼる空」
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オリンピック素晴らしいね…。授与式、荒川選手が表彰台にのぼって、日本の
国歌が流れて、荒川選手が流れるメロディに合わせてそっと君が代を歌って…、
心に震えがきたよ…。荒川選手の素晴らしい心震わされる最高の演技、
そして今それが世界に輝いている。
ああ…感動…大きな素晴らしい歓喜を感じたよ…(TvT)
(東京オリンピックの)その貴賓席には日本の君主がおられた。
その人の前で、世界がそれぞれの旗を垂れて敬礼して行く。
そんなことが起こり得るのかと、私はおどろいて我が眼をうたがっている。
だが次の瞬間には、私は家内に見つからないように少し横を向いて涙を流していた。
いま日本は世界だ。世界は日本をとりかこむ敵意にみちた「他人」ではなくて、
いま日本のなかに存在し、その中心に敬礼している。
(江藤淳「日本と私」)
参考図書(amazon)
江藤淳「江藤淳コレクション 第2巻」(日本と私)
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オリンピック女子フィギュア、荒川静香選手が、金メダル!!荒川選手、素晴らしかったよ。
見ていて、涙が滲んだほど素晴らしかった。ああ、荒川選手万歳!!おめでとう!!
トリノオリンピック女子フィギュアフリー演技を見ていました…。
荒川選手、素晴らしすぎ…。涙が滲んできたよ…。感動した!!感動した!!
村主選手も頑張っておりましたね。なかなか好感が持てる演技でした。
安藤選手…。とてつもなく酷い演技で驚いた…。この選手がオリンピックに出ている
ということの裏には色々なことがあるんだろうなあと思わずにはいられません…orz
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リベラルと保守の政治姿勢の逆転 −イラン核開発問題−
ティモシー・ガートン・アッシュ(フリー百科事典Wikipedia)
ここ近年の実践的な国際政治の流れにおいて、私が面白いなと思うことに、
最近、だんだんリベラル欧州と保守アメリカの立場が国際政治に置いては、
相互に政治的にこれまでと逆転した政治姿勢を取り始めているところがあります。
簡単に云えば、リベラル欧州&米民主党が国際政治的には強硬的・軍事的な主張
を強め、逆に保守アメリカの方は国際政治的には穏健的・対話的な主張を始めている。
この極めて驚くべき逆転の構図は、昨今のイラン核開発問題においては決定的
に顕著な形で現れ、いわゆる反米的な”古い欧州”の旗頭たるフランスのシラク
大統領が「ならず者国家に対しては核戦争も辞さない姿勢で望む」と勢いよく
ぶち上げはじめたのに比べ、米国のブッシュ大統領は多国間の対話を主張している。
イラク戦争の頃とは、リベラル欧州と保守アメリカの立場が政治的に完全に
逆転するという、驚きべき事態がイラン核開発問題においては起きており、
このような驚天動地の事態がなぜ起きてきたのか、不思議に思っていたのですが、
米フーバー研究所上級研究員かつ英オックスフォードの教授である国際政治の著名な
専門家ティモシー・ガートン・アッシュ氏の分析が、2/8の朝日新聞に掲載されており、
それがこの謎に対し優れた答えを与えてくれたように私は感じましたね。ご紹介致します。
シラク仏大統領は、ならず者国家には核兵器をもって臨むとするフランスの政策が
ふさわしい、と言う。一方ブッシュ政権は、核開発計画を進めるイランに穏健である。
四年前とは随分変わった。………今回(一般教書演説において)彼(ブッシュ大統領)
は、「世界はイランが核兵器を保有するのを許してはならない」と言った。米国では
なく世界と。世界はどうしたらイランの核保有を防げるか。現段階でワシントンは、
国連を通じた多国間外交、としか答えを提示していない。………
米政府高官はイランはイラクの場合と異なると明言している。私はダボスの
世界経済フォーラムで、米国の対イラン軍事問題専門家ケネス・ポラックと
軍事攻撃の選択の余地について議論した。イランの核開発を遅らせるために、
米国がイスラエルに爆撃を任せることもできるという人も多い。
しかしポラックは、イスラエルにたとえその用意があったとしても
爆撃は難しいと言った。イスラエルにはイランまでの長距離作戦を
効果的に遂行できる飛行機はほとんどない。さらにイランが
核施設を隠す可能性のある場所はあまりに多い。………
たとえ、(アメリカ&欧州が主張するように国連を通じて)世界の列強が
経済制裁に合意しても、イランの核開発計画を阻止できない可能性もある。
(現状では常任理事国のうちロシア、中国がイランへの経済制裁には反対)
専門家によるとイランが核武装に突き進むかどうか決定できるようになる
には、3年から8年かかるという。この時間表は米国政治に重要な意味を持つ。
ブッシュ米政権がこの問題に対して穏健、かつフランス以上に(かつての)
欧州的なのは、皮肉な言い方をすれば、イランが核兵器を手にするという
危機的転機はブッシュ政権の任期内には訪れないと承知しているからだ。
同じように皮肉な見方をすれば、次期米大統領の有力な候補である
ジョン・マケインとヒラリー・クリントンが共にタカ派的なのは、
(イランが核武装を完了する)転機が自分たちの在任中である
09年度以降になると理解しているからだ。
(ティモシー・ガートン・アッシュ。2/8朝日新聞より)
いやあ…流石は国際政治の専門家、極めてシビアな、リアル・ポリティックス
を見据えた視点を持っていますね。ティモシー・ガートン・アッシュ氏は、
ぶっちゃけ云っちゃえば、イランの核武装は誰にも止めることができないし、
そのことを現アメリカ政権与党は分かっているから、無駄なことにリソース
を使わないようにしているとみもふたもなくここで述べちゃっていますが、
この文章が載ってる朝日新聞の方は社説でそれこそ頭にお花畑が咲いている
としかいいようのない、平和的理念を持って核開発を放棄せよとイランに
呼びかける夢想的社説を載せていて、リアル・ポリティックスに基づいた
冷徹なティモシー氏の分析と非現実的な夢想社説が同じ紙面に載る朝日新聞
という存在は、実に笑えますね。朝日社説書いてる人って、ほんとに自社の
新聞ちゃんと読んでるのかな?ティモシ―氏の現実的な分析を読んだ後に
朝日の現実的には何の意味もない夢想的社説を読むと笑うしかないんですが(^^;
私がティモシー氏の分析に深く頷ける点は、現実の政治は、理念や理想ではなく、
状況における現実から生まれているという眼差しですね。この眼差しが、現実に対する
冷静で醒めた視点、すなわち最も現実を丁寧に観察できる視点に自らを置いている。
イラク戦争時は、欧州は理想的存在で、米はスターウォーズに出てくるような
悪の帝国みたいな論調が一部にありましたけど、現実状況が変われば、欧州が
かつてのアメリカのような立場を取り、米がかつての欧州のように動くという、
今回のような事態もある訳です。つまり、政治においては、その流れは理念では
なく、その現実状況によって動いてゆく。ゆえに、ティモシー氏のような醒めた
視線、全てから等距離を取って物事を見ようとする分析的な視点というものが、
現実の政治というものを鑑みる上では絶対に必要であり、これがなければ、それこそ、
政治の流れにただ利用されてゆくのみに終わるでしょう。朝日新聞社説のように。
自戒を込めて、こういった等距離的な眼差し、分析的な眼差し、マキャベリズム的
な観察眼というものを、私も養うように努力しなければならないなと思いますね。
参考作品(amazon)
ティモシー・ガートン・アッシュ「ファイル 秘密警察とぼくの同時代史」
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自由の重み −自律なき自由は自由にあらず−
ヨーロッパの各新聞社がイスラム教を冒涜した風刺画を新聞に載せたこと
によって、各地で暴動などの欧州対イスラムの対決が起こっているようですね…。
私は、今回の問題はどう考えても、ヨーロッパ側が悪いと思いますよ。ヨーロッパの
各新聞社がイスラム教を冒涜した理由が「表現の自由をイスラムに知らしめる為」
だそうで…、この問題を引き起こしたヨーロッパ人は、とても正気とは思えない。
人を意図的に冒涜するということは、攻撃するということですよ。人々を攻撃する
理由が、「表現の自由を知らしめる為」なんて、無茶苦茶ですよ。そんなの理由
でもなんでもない。自由だから、人を攻撃する自由もあるなんて考えるのは、
正気の沙汰ではありません。こんな無茶苦茶な理由で、人々を攻撃するなんて…、
ヨーロッパの無倫理性と驕り高ぶりが圧倒的に滲み出ていて、私は今回の件に
関しては、どう考えてもイスラムの人々の怒りに共感するし、彼らを支持しますよ。
抗議は合法的に行うべきだし、暴力的な行為は良くないと思うし、法で裁かれるべき
ことは法で裁かれるべきと思いますよ。ただ、イスラムの人々のヨーロッパの振る舞いに
対する怒りというのは、凄く分かる。「ヨーロッパ的自由をイスラムに知らしめる為に
冒涜する」なんて、あまりに酷い振る舞いじゃないですか。怒りを覚えるのは当然ですよ。
とてつもない驕り高ぶり、ヨーロッパ人がイスラムを蔑視する姿勢がそこにはある。
全世界各国家において自らの国家連合”欧州”のみが最も優れた規範的絶対存在と考える
欧州の驕慢がここまで来たのかと思うと、心底、絶望的な気分にならざるを得ませんね…。
(ヨーロッパにおいて)全く新しい形態を持ったナショナリズムが登場してきた。
ヨーロッパ統合を目指す運動は既に長い歴史を持つが、その政治統合の段階に
差し掛かった現在、「ヨーロッパ・ナショナリズム」という新種が登場してきた。
第一次世界大戦の時に、フランスのポール・ヴァレリーがヨーロッパ文化こそが
人類を救うであろうし、またそうでなくてはならないと主張していた。
このヴァレリー流のヨーロッパ・ナショナリズムがいまや大きい規模で登場
してきている。第一次世界大戦の時期には、アメリカとロシアに対してこの
ナショナリズムは主張されたのであったし、フランスだけでなくドイツの
ナチズムもドイツを盟主とするヨーロッパ・ナショナリズムを主張していた。
現在ではこの考え方が全ヨーロッパを、そしていくつかのバリエーションを
伴って東欧とロシアにまで拡大しつつある。………「国家の死滅・廃棄」という
ロマン主義的スローガンの下に、「複数の人間たちの公的共同性」の問題が忘却
された。排除と暴力の問題は、この政治的なるものとの考察と連動している。
現代の政治哲学は人間存在の暴力的根源を解剖しつつ、
排除の暴力を遠ざける可能性の条件を探求することにあるだろう。
(今村仁司「現代思想の基礎理論」)
超ヨーロッパ主義を掲げる欧州が、無制限な自由主義が究極の上位存在たる
超ヨーロッパ的自由主義国家連合の原則だから、その超欧州的な法に
触れなければ自由にどんな悪行を働いてもいいんだ、なんて考え始める
ことは、貴き自由の首を絞めて殺す最悪の行為以外のなにものでもない。
自由が貴いのは、自由だからこそ、自らの中に倫理的なルールを持って振舞わなくて
はならないという、自ら自身に課せられる自由の重みを受け止めることが、自由に
生きるということであり、それは人間の内在的な倫理、最も貴いものと繋がるからです。
そういった自由の貴さを忘れて、ただ無倫理に振舞えば、自由は死んでゆくでしょう。
現在のヨーロッパは、自らの手で自由を殺している。私は、呆れ果てたよ。
欧州に、心底から幻滅した。内在的な倫理を持たねば、自由など、何の意味も無い!!
自由は、自らを律する努力があってこそ始めて良きものとしての存在が許される、人間の貴さなのです。
人間が貴さを失えば、自由は悪夢になる。欧州はバークが警告した通りになってしまったな…。
若干の人々において、私は、確かに、偉大な自由の姿を見る。………
しかし、知恵が無く、そして徳を持たぬ人々の自由とは、一体なんであろうか?
それは、あらゆる可能な害悪の中で、最悪のものである。なぜならば、それは愚かさ、
悪、狂気であるばかりか、教導も自制も持たないものだからである。………
偉大な、誇らかな、自由の諸感情を、私は決して軽蔑するものではない。
それらは、心を暖め、我々の精神を豊かにし、
寛大にし、戦いにおける我々の勇気を奮い立たせる。………
私は、丁寧な考察と大きな公平さのほかには、(自由に対する態度
としての)意見として勧めるべきものをほとんど持たない。
それ(自由)は、権力の具ではない。貴族にへつらうものでもない。
最後の行為においてまで、決して一生の自律を破らなかった人からそれは来る。
それは、その公共的活動のほとんどすべてが、他人の為の自由の
戦いであった人から来るのであり、その胸のなかに、彼が暴政と
考えたものにたいしてのほかは永続的な怒り憎しみを抱くことなかった
人から来るのであり、そしてそれは、おびただしい抑圧を破る為に、
立派な人によって為されている努力に参加し、そして人々の問題に
あてる時間を捻出する人、そうすることによって、自分の義務から
逸脱しなかったと確信する人から、来るのである。名誉や地位や
報酬を無暗に望まぬ人、欲望に対して節度のある人、評価を軽視せず
悪口を恐れぬ人、意見は賭することあっても、争いは避ける人、
それらの人から、それは来る。一貫性を保とうと努力する人、
彼の目的の統一を確保する為に手段を変更することで一貫性を
保とうとする人、そして、彼が乗っている船の均衡が、一方に
積荷をし過ぎて危険になるときは、その均衡を保つ方向へ、彼自身
の理性というささやかな重量を運ぶことを願っている人から、それは来る。
(エドマンド・バーク「フランス革命の省察」)
参考図書(amazon)
今村仁司「現代思想の基礎理論」
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バレエ −ヴィーナスの杯−
先日(2/5)はロシアのレニングラード国立バレエの来日コンサートへ
行ってたんですが、なかなか良かったですね…。極めてアポロン的な
美に触れて、精神が明晰に浄化されてゆくのを感じたよ…(^^)
西洋美学の根幹はロジカルな明晰さ、肉体のシンメトリーな美学的完成
にあるというのはほんとだな…とバレエを見ながら心から実感。バレリーナ
の肉体が極めて高度に、神秘的にまでに幾何学的に完成されていて、
超越的な感銘を受ける絵画を鑑賞したときの如き、テオリアに心身が入る…。
ロシアのバレエ団なので、汎スラヴ的な、日本文化とも共通するある種の
幽玄的な暗冥の影というのはあるのだけれども、そういった影を生かしながら
それを超えるような、ギリシャ的明晰さの美があるのは、ほんとに、流石ですね…。
シンメトリックスな、幾何学的な、完璧な肉体の完成、バレリーナの身体、その
スタイルが、完全であり完璧、日本人には絶対に真似の出来ない、白人種
の一部にだけ授けられた神の恩寵とたゆまぬ鍛錬による美の顕現たる肉体、
実に素晴らしくてね…、真実の美とは、このようなものをいうのだなと実感する。
日本ではどうも勘違いされているように思いますが、美しいものは、それは
観念的に独立しては存在しない。美は観念的・抽象的なものではなく、
常に形として、外形的に示される形として現れる。美しい心情という言葉を
使うとき、その言葉が示すのは、美しい心情を想像させる外形的行為に対して
の美的賛美であり、心情なんていう抽象観念が独立して存在する訳ではない。
美は常に、外在的な形として示される。美というものは外在的な働きかけ
としてのみ存在するものなのです。ゆえに美しいものを示す=完成させる働き
――すなわち芸術は、人間の営みにおける最高の営みと云うことができるでしょう。
バレエというのは、人間の肉体に西欧文明の粋を凝らした最高度の美的完成を
与えようとする芸術的試みであり、そこにおいて、最高度の幾何学的優美さを
もった完全なるスタイルの肉体、そして舞台での美のコンステレーション、それらを
躍動的に動かすことで、肉体を使って肉体を超えるが如き感銘を与える、その示される
美的なハーモニクス、それらが今回の上演でちゃんと明晰に示されていたよ(^^)
聖書の「鏡もて見る如く見るところ朧なり」とはまさしく真、私達人間は、曇った、
ぼやけた認識でもって、霧の中をさまよう宿命を背負っているけれど、芸術における
美的な観照、幾何学的な、ロジカルな明晰さ、輝ける整合的な美は、そういった
私達の曇りを拭い去り、私達に輪郭のはっきりした、美しい世界を見せてくれる。
日本人としての日本的な宿命、暗冥な黄昏の曖昧さの世界に絡め取られている
私達にとって、西欧のバレエのような、明晰な鋭敏さをもつはっきりとした美に
よって感覚の浄化を与えてくれる芸術は、本当に心に救いを与えてくれますね。
そは世界に明晰な輪郭を齎す。そして明晰な形において、超越は内在的に現れる。
精神と肉体は一つであるという感情ほどギリシャ人に親しいものはない。
このことは抽象的観念にも大部分が人間の姿をとった感覚的で具体的な
姿を与える彼らの天与の能力に現れている。………
ブレイクがその「自選作品展覧目録」で語るところによれば、ギリシャの彫像は
『そのすべてが、亡び死にゆく人間の眼には、霊的存在の表象、不死の神々の表象
と映る。しかるにこれらの表象は、堅固な大理石でもって肉となり形となっている。』
ギリシャ人にとって肉体も、神への信仰も、合理的比例への愛も、
現実的な存在であった。これをひとつにしたもの(ギリシャ的肉体美)
は、彼らの想像力がもつ総合的な把握力にほかならない。
そして裸体像はいくつかの相矛盾する状態を和解させているがゆえに、
永遠の価値を得る。それは人体という最も官能的で直接に我々の関心を
惹く対象を捉え、これを時間と欲望のとどかぬ彼方へと連れ出す。
(ケネス・クラーク「ザ・ヌード 理想的形態の研究」)
参考図書(amazon)
ケネス・クラーク「ザ・ヌード 理想的形態の研究」
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「リバーズ・エンド」 −エクスポートの技法−
「半分の月がのぼる空」の著者の長編SF作品「リバーズ・エンド」を全巻読了。
ううう〜ん…。これは…ちょっと…。正直、駄目駄目な作品だと思うなあ…(^^;
なんというか、「半分の月〜」の完成度の方が「リバーズ〜」よりは遥かに高い。
「リバーズ・エンド」は、ちょっと、あらゆる面が拙過ぎ…、作者さんが
きっと一生懸命書いているんだろうなということは、分かるんですけどね…。
物語の登場人物達の視野が狭過ぎて、物語の背景で起きている大変な事態
を全く大変な事態と感じられなくて…、物語の輪郭がぼやけていて、なんとも…。
物語技法の一つに、いわゆる「エクスポートの技法」、物語に描かれる視野を意図的に
狭めてゆくことで、我々の現実に対する感覚を超える密度の濃い感覚を想像的に与える
作劇技法がありますが、この作品は、「エクスポートに挑戦して失敗」みたいな…。
物語というのは、当然ながらなんでもかんでも描ける訳ではありません。
文章で描ける部分はどうしても、その物語世界で起きていることのほんの
一部分に過ぎない訳です。しかし、その一部分を重点的に描くことによって、
一部分に合わせられる焦点が、世界全体への意識へ広がるような深みを持つ
作品というのもある訳で、一部分しか描けない、一部分を強調して描いて行く
こと自体は決して悪いことではありません。現実から、ある一部分をエクスポート
(抜き出し)して、そしてそこから、一度収縮したレンズの光が角度を変えてまた
広がりを見せるように、我々の意識を呼び覚ましてくれるような描き方もある訳です。
然し…、この作品の場合、なんというか…、描きたいのは「二人の愛が全て、
愛が全てさ〜。二人の愛の為なら全人類の生死なんてどうでもいいのさ〜」
ということなんでしょうが、その為に宇宙人襲来による人類の滅亡とか、核兵器による
大虐殺とか、滅茶苦茶穴だらけのSFガジェットとか、ふんだんに盛り込まれていますが、
正直、その全てが御都合主義かつ中途半端で…、この物語における人々の死、
全人類の生死は、ただ、主題となる主人公とヒロインの愛情を描く為の背景でしかない。
そして、その背景はとても上手く描けているとは云えない。それどころか背景自体、
基本的にほとんど無視されている。さらにこの作品の物凄いところは、主人公と
ヒロインの愛というのは、第1巻でヒロインが仮死状態になった後は、ただ主人公が
ヒロインに想いを寄せているだけという、完全な一方通行。しかも主人公は最初から
最後までどうしようもないヘタレ(碇シンジ君以上)で、最後はヒロインが死んだと
思い込んでやけくそになって、全人類を道連れにして自殺を図る始末。
この作品の登場人物って悉く、他者の存在が不在の世界で生きているんですね。
で、物語としては、主人公がどうしようもないヘタレかつ自分勝手な人間で、
最初から最後までヘタレまくった振舞いを貫きとおした挙句、全人類を道連れ
にして心中しようとしますが、その行為によって偶然全人類は救われて、
実はヒロインも生きていて、結果オーライ的にハッピーエンド。………。
なんつーか…。その…。この作品、皆様にはとてもお勧めできないです…。
時間が有り余っており暇で暇でしょうがない方以外は別に読まなくてよい作かと。
まあ、全5巻ですが、私は5冊を2時間で読了できたので、例え読んだとしても
そんなに読了には時間が掛かりません。人類滅亡ネタの割にはすご〜く軽いので。
ただ、この作品と同じ、「時空の歪み」なSFで、「愛LOVE青春」が主題な系統の
SFライトノベルを読むのでしたら、「タイム・リープ」とか「サマー・タイム・トラベラー」
とか読んだ方が絶対に良いと私は思います。先日「サマー・タイム・トラベラー」
の二巻を読みましたけど、小説としての完成度がもう桁外れに圧倒的に段違い。
「サマー」が早川文庫から出ているのは伊達じゃない!って感じですね(^^)
なんていうか…、「リバーズ・エンド」も、ライトノベルの標準よりは
上を行く作品だと思いますよ。でも、このレベルでは、小説として、
ライトノベル畑以外の作品と肩は並べられないですね…。
まあ、最初に書きましたように「半分の月〜」は「リバーズ」よりかなりマシに
なっているので、作者さんが小説家としてだんだん腕をあげているのは確かで、
このままたゆまぬ精進を続けてくれれば、二十年後に期待というところでしょうか。
参考図書(amazon)
橋本紡「リバーズ・エンド」
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ドキュメント「証言・ヒトラーの最後」 −西欧の深さ−
敵は私の中にある。
(カール・シュミット「パルチザンの理論」)
BS1で放映していたドイツシュピーゲルテレビのドキュメント
「証言・ヒトラーの最後」を視聴…。ドキュメントとして質が高すぎる…。
日本ではいかにどうしようもないテレビ番組を我々は見せられているか、
本番組を見ていて、はっきりと自覚しましたよ…。
このドキュメント「証言・ヒトラーの最後」の凄いところは、エモーショナルな要素を
一切完全に排除して、映像として記録された出来事と、そして、ヒトラーと最後まで共に
いた側近の将校、下級兵士達、女性秘書、親衛隊員(ヒトラーの専属医師の一人)の
証言を、ただ、淡々と流しているところで…番組が視聴者にイデオローグとして何も
押し付けないからこそ、本当に、恐ろしさ、人間の恐ろしさというものが伝わってくる…。
日本の戦争ドキュメンタリー、その他諸々のドキュメンタリーは須らく、エモーショナルな
要素を最大の主眼としておいて、情動的な物語を番組がドキュメンタリーの前提となる枠組み
としてまず作って、それに乗った形で番組が進行しますけど、本番組はそういうの、一切なし。
ただ、淡々と起きたことが描かれ…、ヒトラーが人間として淡々と描かれている。彼の行動や
それがどういう結果を齎したのかも淡々と描かれている。出来事だけが静かに流れる。
こういう静かなドキュメンタリーを作れるドイツの民度というものを思うと、羨ましい…。
エモーション&センセーション絶対主義である日本じゃ、絶対に作れないタイプの番組…。
ヒトラーが、エヴァ・ブラウン(ヒトラー夫人)と、幸せそうにしている映像や、
ゲッベルスとその夫人、そして彼らの無邪気な子供達の映像とか、見ていると…、
ヒトラー側近の人々が語る生き生きとした人間味のある戦中生活について聞いていると…、
日本のマスコミだったら、敗戦した戦争責任者を人外の悪魔として描きますけれど、
決してそうではなく、人間として、情感、愛情や友情を持って、喜んだり、怒ったり、
落ち込んだりする、ごく普通の情を持った人間が、人類史上に残る恐ろしい出来事を
引き起こしてゆく、それが、”人間”というものなんだ、ということが、伝わってくる…。
ヒトラーの側近の将校が、ヒトラーはゲーリングなどの重鎮が裏切ってゆくことは
予想していたけれども、自らが信頼を寄せる最も忠実な部下、ヒムラーの裏切りには、
酷い衝撃を受けて落ち込んでいた、などと語り、ヒトラーの秘書が、戦争末期、
ゲッベルス夫人はいつも泣いていました、などと語るのを聞くと、彼らは、
化け物ではなく、人間なんだ、ということが、分かってくる。そして、彼ら
の為したことも、淡々と語られる。例えば、ヴァーリング将軍の言葉、
「ヒトラーは分かっていなかった。いかに勇敢で優秀な兵士でも、弾薬が
なければ戦えないことが分かっていなかった。愚かな命令で多くの兵が死んだ」…。
勇猛な戦場の映像、陰惨で無残な戦場の映像…。淡々と映像が流れる…。
日本のマスコミは、何か悪いことが起きたとき、それを引き起こした人間を、
彼らは"普通"の人間とは違う異常な化け物であり、だからそれは"普通"の人間
には関係ない、という形で必ず報道しますけど(このことを切断操作と云う、
カール・シュミットが指摘した敵/味方の二分法)、それら日本マスコミの姿勢、
日本の世論の姿勢、日本の人々の姿勢、己を含めた人間全ての内在する悪から
常に眼を逸らし続ける日本の姿勢と西欧の姿勢は全く違う…!
我らと同じ普通の人間が、巨大な、取り返しのつかない悪を為すのだ、ということを、出来事
の積み重ねを淡々と直視することで認識する西欧の姿勢、私は、この、歴史と人間に対する
誠実さというものの前で、呆然と佇んでしまう…。果てしない、真摯さがそこに在る。
日本人として、西欧人には敵わないな、と強く感じるのは、こういう時ですね。
世界に対する、人間に対する、誠実な真摯さが、果てしなく、彼らは深い――。
ヴァレリイの言葉、──善をなす場合には、いつも詫びながらしなければいけない。
善ほど他人を傷つけるものはないのだから。
(太宰治「美男子と煙草」)
参考作品(amazon)
「ヒトラー 〜最後の12日間〜」
ハンナ・アーレント「イェルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さの報告」
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ライブドアと予見 -虚無の意識-
田原総一朗「オフレコ 第一号」(amazon)
田原総一朗が作っている雑誌「オフレコ」の第一号を読んでいたら、
田原総一朗×堀江貴文の対談が載っていたのですが、まさに今回の
逮捕劇を予見しているかのような内容で、驚いた…。堀江貴文容疑者
と彼の会社ライブドアがコンプライアンス意識ゼロであることが
はっきり分かる内容、人間の倫理や知恵や情みたいなものを嘲笑している…。
倫理を無視して人間を金の為の道具として扱う会社に、コンプライアンスの
意識が芽生える筈がないんですよ。なぜなら、法というのは、人間同士の公平を
最も基礎的な土台としており、公平とは、人間の倫理から生まれた意識なのですから。
対談からは堀江容疑者がこの日本、自分の周りの世界というものを軽蔑し、
そしておそらくはとても憎んでいることが読み取れて、私はとても寒気がした。
ライブドアというのは、堀江容疑者の巨大な復讐であったように私は思えるな…。
彼(堀江容疑者)は、人間を全く、信じていないんだ…。そういった発想自体存在しない。
田原総一朗「堀江さんね、『いい会社』というのはどういう会社ですか?」
堀江貴文「会社って、儲ける為に会社という組織がある訳だから、
儲ける会社がいい会社に決まっているじゃないですか」
(中略)
田原「会社の人間には二種類あって、アイデアや知恵を出す奴と、
それを実現する為の人間がいると思う」
堀江「知恵なんて価値ないですよ」
田原「いや、大きく分けて。知恵を出す奴がわりと高給」
堀江「いや、大きく分けて、稼ぐ奴と稼がない奴の二種類がある。
それくらいしか区別はないです」
(中略)
田原「でも稼ぐ奴と稼がない奴というけど、稼がずにもっぱら管理する
部門の連中もいる訳でしょう。人事とか経理とか総務とか広報とか」
堀江「だから、広報には稼げといってます」
田原「だから、テレビに出て(出演料で)稼いでいるのか、秘書さんが」
堀江「経理、総務も稼げと」
田原「どうやって(経理や総務が)稼ぐの?」
堀江「(ライブドアの)管理本部で社内コンビニを運営したりとか。
福利厚生では準社宅制度というのを導入して、仲介業者何社かと提携し
社員が入居したら(ライブドアへ)キックバックが入るようにしたり、
(社員の資産を経理や総務が)資産運用したりとか」
田原「やりつけない人間に資産運用なんかさせたら、損するんじゃない?」
堀江「いやいや、そんなことないですよ。やりつけないなんて関係ない」
(中略)
田原「もっとも、(社員が資産運用やらされて)損したっていいんだけど」
堀江「うん、損したら(その分)給料が減るんじゃないんですか」
田原「この社員はいける、これはパッとしないというのは、
堀江さんが判断するんですか?」
堀江「いやいや、だから数字が出てくるんじゃないですか。
稼ぐ、稼がないという数字が出てきます」
田原「人間的にいい奴とか、忠誠心に問題ありなんていうのは、
あんまり関係ない?」
堀江「そんなの、ゴマすってたら、何かよく見えるかもしれないし。
数字はウソつかないというじゃないですか」
堀江「数字ばかり見ていると飽きない?」
堀江「飽きる飽きないじゃなくて、数字でオペレーションをやっていると、
そっち(個々の人間)の方を気にしなくていいじゃないですか。
ハッキリいって、そのへん(人間の関係性)はつまらない話な訳です」
田原「あ、(人間関係が堀江氏にとって)つまらないから
数字にしてあるのか。じゃあ、堀江さんは何がワクワクして、何が面白いの?
企業を大きくするのが、そんなに面白い?(中略)人との出会いの面白さは?
(中略)堀江さんがいま日本で面白いと思う人はだれ?」
堀江「いないですね」
田原「世界でもいないの?」
堀江「あんまりいないですね。
何か、そんな絶対かなわねえぞ、みたいのはいないです」
(中略)
田原「堀江さんは、いっそアメリカに行くとか、インドとか、
どこでもいいけど、そこでやろうとは思わないですか?」
堀江「バカばっかりの方が、うまくいくんですよ」
田原「そうか、日本はバカばっかりだから」
堀江「商売しやすいんですよ」
田原「だから断固、日本にいると」
(田原総一朗「オフレコ 第一号」)
………なんで、堀江氏は、こんなにまで、世界と人間を軽蔑しているんだろう…。
堀江氏は云う、日本人はバカばかりだと。しかし、そのバカな部分にこそ、大切なもの、
利己主義では測れない人間の関係性があり、そして堀江氏はそれを知っていて、なおかつ、
意識的にそれを踏みにじろうとする…、それは怒りや憎悪すら超えた、根源的な虚無の意識…。
利己主義者は期待しない人間である。従って(世界と他者を)信用しない人間である。
それゆえに常に彼は猜疑心に苦しめられる。ギヴ・アンド・テイクの法則を
期待の原則ではなく打算の原則として考えるものが利己主義者である。………
利己主義者は他の人間が自分と同じようではないことを暗黙に前提としている。
もし全ての人間が利己的であるとしたら、彼の利己主義も成立し得ない筈であるから。
(三木清「人生論ノート」)
参考図書(amazon)
田原総一朗「オフレコ 第一号」
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ゴア・スクリーミング・ショウ −「IT」+「クリスティーン」−
ゴア・スクリーミング・ショウ公式サイト 「ゴア・スクリーミング・ショウ」(amazon)
先日より楽しくプレイしているゴア・スクリーミング・ショウ、
先日は希衣佳、葵、あかねシナリオをクリアしましたが、今回は
闇子シナリオをクリア。う〜ん、手堅く纏められている感じで、
悪い出来ではないんだけど………普通の出来としか云い様がないなあ(^^;
私の評価としては、一番最初にプレイした希衣佳シナリオの出来が一番良く、
それは、私自身が希衣佳のことを凄く好き、この作品のヒロインの中で、
他のヒロイン達には"like"としての感情しか抱いてないけれど、希衣佳に
だけは、深く"love"の感情を抱いて、それは影響していると思うけれど、
それらの贔屓目を鑑みても、やはり希衣佳シナリオが一番完成度が高く感じるな。
そしてそれは明らかに、希衣佳のシナリオを一番にプレイしたことも大きい…。
初回プレイでは何がなんだか分からない超常的なものの恐怖というのが一番感じられた。
それに比べると…、これはあらゆるホラーにおける限界的な問題でしょうがないんですが、
同じ設定の恐怖物というのは、連作が続くに連れどんどん怖くなくなるんですよ。
これは簡単明瞭なことで、どんなホラー作品でも、ネタが明かされないまでが命、
恐怖を齎していたもののネタが明かされてしまうと、とたんにそれは怖くなくなる。
思いきりぶっちゃけて云っちゃえば、「幽霊の正体見たり枯れ尾花」というやつです。
この作品における希衣佳、葵、あかねシナリオというのが、何がなんだか分からない
ものの恐怖に怯えるという、ホラーの本筋的なシナリオだとすると、闇子シナリオは
基本的に物語の種明しシナリオで、やっぱりどうしても、ホラーとしてはう〜ん…(^^;
この作品、ホラーの設定や演出は悪くないと思うんですよ。不気味なオブジェの
使い方や、不気味な存在の醸し出し方はなかなか上手いです。ホラーの黄金パターン
をおしげもなく投入しているところも好印象。闇子シナリオでは、この物語の恐怖の
源泉が「イジメ」であったことが明かされますが、これはホラーの黄金パターンの一つ。
基本的にホラーにおけるイジメのネタでは、大きく分けて2パターンがあって、
一つは、「いじめられっ子が化け物になっていじめっ子に復讐してゆく」
もう一つが「いじめっ子が化け物になっていじめられっ子を狩り立てる」
というパターンなんですが、だいたいにおいて、面白いのは前者なんですね。
この「ゴア・スクリーミング・ショウ」も、前者の系統を踏襲しています。
なぜ前者の方が面白いかというと、いじめっ子が化け物になって
いじめられっ子を狩り立てるタイプのホラー作品だと基本的に
「怪物が襲い掛かってくる」だけの物語になってしまうんですよ。
そこには、ドラマがなにもない訳ですね。元々人を脅かす
化け物的存在(いじめっ子)が本当の化け物になる訳なので、
化け物になる前も後も、感覚的にはあまり変わらない。
それに比べると、いじめっ子が自分が行ったイジメのことをすっかり忘れていた頃、
いじめられっ子が復讐してくるという話は、それがある種の正義の執行であることや、
復讐という人間的なドラマがそこにはあって、物語としては面白いものになりやすい。
私としてはこの系統だと例えばキングだったらキャリーよりもクリスティーンが好きだなあ。
クリスティーンなんて主思いのなかなか可愛い車ですよ(爆)ちなみに、主の代わりに、
主が愛した主の所有物がいじめっ子に復讐を行うというのもよくありまして、先に挙げた
「クリスティーン」とか、あとはこの作品「ゴア・スクリーミング・ショウ」もそうですね。
考えたら、この作品ってキングの「IT」と「クリスティーン」が合体してる作品だなあ。
この作品の闇子シナリオでは、超常的な化け物ども(ユカ&ゴア)が、いじめの
復讐をその力の根源として動いていることが明かされるのですが、ただ…、
なんというか…、実は主人公や先に出てきたヒロイン(希衣佳、葵、あかね)
って、そのイジメと何にも関係ないんですね…、思わず「とばっちりかよ」
と呟いていましたよ。ただ単に化け物どもの傍迷惑な復讐劇に巻き込まれただけ。
まあもう一つには化け物どもがなぜか主人公に好意を抱いているという謎の
設定があって、それがなぜなのかはまだ私のプレイでは明らかにされていませんが。
ただ、このシナリオのヒロインである闇子はイジメの当事者(復讐を受けるいじめっ子)
なのですが、なんというか、これまでとばっちりで、葵やあかねはともかくも、
私の大好きな愛する希衣佳が化け物どもからとんでもない酷い目にあったことを思うと…、
こんなヒロイン(闇子)はどうでもいいよ、化け物どもはさっさとこいつに
復讐してさっさと地獄へ還ってくれ、と正直思わずにはいられなかった。
ホラーとしてのドラマツルギーを求めるならば、主人公や他のヒロインが
そのイジメに何かしら関連しているという方が良かったんじゃないかな。
とばっちりで化け物と対峙する羽目になるというのは、結局のところ
「理由もなく怪物が突如襲い掛かってくる」というのと何も変わりませんからね…。
ただ、現在のところ本作全体を通してみて、完成度の高い、中々面白いホラー作品
であることは間違いありませんよ。物理的恐怖を描くスプラッタホラーとして
本作をみたときには、友成純一さんあたりのスプラッタホラーと比べるとちょっと
描写とか色々甘めかなと思うけど、(スプラッタホラー路線のシナリオの時は、
もっと徹底的に残虐描写をじっくり描いた方がいいと思います)ただ、超常的なホラー、
夢幻的な恐怖を描いた作品としては、かなり完成度が高く、お勧めできる作ですね(^^)
参考作品(amazon)
ブラックサイク「ゴア・スクリーミング・ショウ」
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ライブドア熊谷史人取締役、代表取締役に就任 −変わらぬ人間−
幸福だったシーザーの半生を思うとき、私の心ははずむ。
勇敢な男だったシーザーを思い、私は心から賛嘆を惜しまない。
だが、野心に身を委ねたシーザーを見出したとき、私は奴を刺したのだ。
(シェイクスピア「ジュリアス・シーザー」)
ライブドアの企業犯罪により、堀江貴文社長以下、ライブドア幹部達が逮捕
されたことによって、ライブドアは堀江社長の退任と、逮捕を免れた現ライブドア
の最高幹部である熊谷史人取締役の代表取締役就任を発表しましたね。
いやあ…何というか…。株式会社における社長の権力の源泉は代表権にある訳
であり、社長が代表取締役ではないという状況は極めて異例、ライブドアの社長には
ライブドアの子会社弥生の社長である平松庚三氏が就任しましたが、ライブドアの
取締役でもない平松氏が社長であっても、それは結局のところ役職上の名目に過ぎず、
ライブドアの実務的な全権は、熊谷代表取締役のものとなったと見るのが妥当でしょう。
ライブドアとしては、平松氏を取締役にし代表権を与える臨時株主総会を開けば
現経営陣(現取締役)の責任を追及されることになる、それは絶対避けたい、
ならば、代表権を与えない名目役職的な社長を社内において、お茶を濁そう、
実際は現取締役会、つまりは現代表取締役である熊谷氏がライブドアを動かそう、
ということだと思いますが…、こう、なんとも、なかなかに興味深い展開ですね。
熊谷氏が逮捕を免れたこと、そして今は実質上、ライブドアグループを手中に収めた
ことを思うと…、こう…何といいますか、シェイクスピアの劇「マクベス」に
出てくるマクベス王と、熊谷氏の姿が私には重なって見えて仕方がありません…。
記者会見する熊谷氏を見ていたら、次のマクベスの台詞が私の頭を過ぎった…。
明日が来て、明日が去り、一日一日と小刻みに時の階を滑り落ちていく、
この世の終わりにたどり着くまで。
昨日という日が愚か者が塵と化す死への道筋を照らす。
消えろ、消えろ、つかの間の灯火、人生は動き回る影、哀れな役者だ。
自分の出番の時だけ舞台で見得を切り、喚き、そして消えていなくなる
…白痴のしゃべる物語も同然…
(シェイクスピア「マクベス」)
シェイクスピアの凄いところは、時代を超えた人間の決して変わらぬ姿
というものを徹底的に描ききっているところで、今の時代にも、それは
通じているな、そう私は、今回の事件を見ながら、深く感じましたね…。
これでは杭に繋がれた熊と同じだ。もはや逃げるに逃げられぬ。
こうなったら熊のように暴れまくるほかはない。
(シェイクスピア「マクベス」)
参考図書(amazon)
シェイクスピア「マクベス」
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ライブドアの企業犯罪に対する報道について −今、重要なこと−
ライブドア問題について、今回逮捕された堀江貴文容疑者という人物の特異な
パーソナリティに今回の犯罪における原因の焦点をあてた報道が昨日から目立ちますね…。
確かに堀江貴文容疑者は、彼の犯した企業犯罪が暴かれるにつれ色々なことがわかってきた人物、
彼が極めて無倫理的、非倫理的な、人間的に全く敬意を払うべきところのない、ただ金銭のみに
偏執する特異なパーソナリティの犯罪者であることは間違いなく明白であるようですが…。
しかし私はこういった原因論を行う報道には異論があります。
ライブドア問題の本質は堀江貴文という人物の特異なパーソナリティにあると考えるよりも、
企業犯罪、経済犯罪、株式市場犯罪における日本の法律の不備にあると私は考える。
人間は常に法律を出し抜いて邪悪な行動を取ろうとするものだという法整備の基本的前提、
社会に対するプラグマティックな思考が、日本の今後を考えるならば必要であるかと。
法整備における先の基本的前提を蔑ろにした穴だらけの証券取引法の不整備が、ライブドアの
犯罪を生んだ大きな一因であり、その不整備は我々がきっちりと直してゆかねばならない。
我々がライブドアのような犯罪企業を再び生み出さない為に、今後、何をすべきか、
このことを合理的に、システマチックに考えることが、今後の行動してゆく指針になってくれる。
堀江貴文容疑者の特異なパーソナリティや社会の拝金志向を批判することは、
象徴的な意味合いはそれはそれであるのかも知れませんが、プラグマティックに
考えるならば、それは再びこのような事態を引き起こす企業が現れるのを防止する
のにほとんど意味をなさないと私は思いますね。そして今、一番大切なことは、
ライブドアの犯罪行為を徹底的に暴いて法の裁きを執行するとともに、二度と
ライブドアのような犯罪企業が現れないように、法律をしっかり整備することの筈です。
今、最も必要なことは証券取引法の徹底的な整備、それが一番大切なことと思いますね。
参考図書(amazon)
スティーヴン・C・ロウ「ウィリアム・ジェイムズ入門」
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ライブドアグループ総帥、堀江貴文容疑者逮捕 −人間全ての邪悪−
ライブドアの本業であるM&Aで不正が行われていたことは、
ライブドア本体が犯罪で支えられていたことを意味する。
(検察幹部のコメント。1/23,23:30日本TVニュースより)
ライブドアグループに君臨するライブドア社長、堀江貴文容疑者を始めとする
ライブドアの幹部達が、相場操縦や粉飾決算などの企業犯罪の容疑で逮捕されましたね。
ライブドアグループ一丸となった様々な企業犯罪の容疑が明らかになるにつれ、
私が思っていた以上に、ライブドアグループというのは極めて非道で悪質な、
邪悪な犯罪企業グループであったことが明らかになり、恐怖を感じました。
そしてライブドアの様々な企業犯罪を助長していた一因は、企業犯罪、経済犯罪に
対する法不備、特に株式市場に対する法律の不備であって、そういったことを思うと、
この忌まわしい犯罪事件を他山の石として、企業犯罪に対する法整備、例えば
投資事業組合への法整備などを、徹底的に国が行わなくてはならないと思います。
忌まわしき犯罪企業グループライブドアが今回の法の裁きによって、消滅解体する
ことを心から私は望みますが、第二第三のライブドアが再び現れることを防ぐために、
徹底的に、こういった企業経済犯罪に対する法整備、株式市場に対する法整備を
行わなければならない、私は今回の事件を見て、強く強くそう感じましたね。
次のマキャベリの言葉は真実であることを、我々は強く認識しなければならないと思う。
国家を建設しその法律を設定する者は、こう考えておく必要がある。
人間はすべて邪悪な存在だ。
チャンスさえあれば、みな、必ず邪悪な精神に従った行動を取る。
(マキャベリ「ディスコルシ」)
いやあ…ライブドアの犯罪が暴かれるのを見るにつれ、
世の中というのは、本当に邪悪に満ち満ちていると感じるね…。
「この世の50.78%は怒りで出来ています。
残りの44.2%は憎しみで出来ていて、さらにその残り4.493%は糞尿です。
そしてさらに、0.246%が反吐、0.182%が空腹で出来ています」
「んーンーんーグレイトゥ!スペシャルな解答だったネ!
そうだネその通りサ!」………
「皆さんが知っていタ世界ハ、稚拙でいびつで、非常に未発達!」
(ゴア・スクリーミング・ショウ)
参考作品(amazon)
マキャベリ「マキァヴェッリ全集2 ディスコルシ」
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ゴア・スクリーミング・ショウ −私的幻想とポルノトピア−
ゴア・スクリーミング・ショウ公式サイト 「ゴア・スクリーミング・ショウ」(amazon)
ゴア・スクリーミング・ショウ、希衣佳に引き続き、葵、あかねシナリオクリア――。
戦慄すべき出来の良さ、素晴らしい…。希衣佳シナリオの出来が非常に良かったので、
期待してはじめたところ、葵シナリオは…。…その、なんというか、あまり光るところ
のない、平凡な感じのシナリオで、う〜んと思っていたのですが、その後プレイした
あかねシナリオ素晴らしい…。正確には、あかねシナリオバッドエンドルートが素晴らしい。
あかねシナリオバッドエンドルートでは、主人公が超常的な邪悪な存在「ユカ&ゴア」
の創り出す幻想世界の中に囚われてしまうのですが、このシナリオの面白いところは、
主人公にとってみれば、これはまさに究極最高のハッピーエンドであるところで…。
人々を惨殺し、主人公やヒロインをつけねらう超常存在「ユカ&ゴア」は、極めて
邪悪、人間を超えた邪悪としか云いようのない存在ですが、このコンビのうち、ユカ
の方は、主人公のことを熱烈に愛しているのですね。主人公はそれぞれのヒロインを
それぞれのヒロインシナリオで愛し、邪悪なユカを嫌悪していますが、あかねシナリオ
においては、ユカが超常的な力で主人公を幻想の世界に引きずり込んでしまう。
この幻想の世界が…、本作は「ユカ&ゴア」の創り出す幻想世界と現実がメビウス
の輪のように捩れ、現実と幻想の境が分からなくなるような展開が多いのですが、
大体において彼らが創り出す幻想は陰惨で、恐怖と絶望に満ち溢れた酷い世界
なのですね。ただ、このあかねシナリオにおいてだけ、主人公が見せられる
その幻想は、おそらくは主人公の願望と欲望、それが肥大化した幻想の世界――。
主人公は喧嘩っ早いところもありますが、基本的にまっとうな優しく真っ直ぐな
人間で、その彼が望んでいることも、愛する恋人と幸せになりたいという、真に
まっとうとしか云いようのない願いなのですが、その願いを、「ユカ&ゴア」の
創り出す幻想世界はどんどん肥大化させる形で叶えてゆく。愛する恋人との快楽
が肥大化し「愛する恋人と幸せになりたい」は「愛する恋人と快楽を感じたい」となり、
全てが快楽に包まれた異様な、そして果てしなく幸せな世界に世界が変貌してゆく。
主人公が異様に無限に幸せな夢幻の幻想世界に飲み込まれて行く描写がエロエロかつ
圧巻で、「さよならを教えて」を思い出させるこの展開、私の大好きな展開でしたよ。
最終的には主人公は幸せの飽和した究極の快楽、愛する恋人との蜜月の幻想世界のなかで
そこに安住する。しかし、彼が愛している恋人あかねの本当の正体は、彼に幻想を見せて
いる超常的存在「ユカ」なのですが、それに気づかずに、彼は永遠の歓びのなかにいる。
そして、彼に幻想を見せることで彼の愛を手に入れたユカも、また永遠の歓びのなかにいる。
主人公の彼の見ている世界は幸せな世界であり、彼の恋人あかねとして彼に見られている
ユカの見ている世界もまた、主人公に愛されているという幸せな世界なのですが、この
二人が恋人として幸せを感じて暮らしているんですけど、それは、ほんとうは、全く
互いに何も事実を共有していない、それぞれ決定的にズレている幻想世界なのですね。
しかし、そういったズレがあっても、二人がそのズレを認識せず問題にしない限り、それは
ズレではなく、二人は、お互いの心持も、外部からも、幸せな恋人同士として存在している。
ああ、非常に慄然とするとともに、このシナリオの主人公には羨ましさを感じたよ…。
人間、真実の意味で互いに同じ幻想を共有することなんてウィトゲンシュタインを
持ち出すまでもなく不可能な訳で、人間は根源的に自らの私的幻想に生きるもの。
自らの私的幻想を完全に生きられる世界こそ、それは究極のユートピア、真実の楽園――。
ポルノグラフィとは、究極的にはポルノトピア、私的幻想の究極を描くものであり、
人間の私的幻想は突き詰めれば快楽へと到達する。ゴア・スクリーミング・ショウ
はその快楽を完璧に描いた稀有なる素晴らしい作品であるとしか私は云いようがない!!
最後に中田耕治氏の「ポーノグラフィの美学」から引用を。この引用が、
ゴア・スクリーミング・ショウのあかねシナリオには完全に当てはまる。
そしてそれは、ポルノグラフィとして、真に偉大な、素晴らしいこと――。
ポーノグラフィ(ポルノグラフィ)作者の内面には、意外なことだが、
母の乳房から引き離されて、乳房を求めて泣き叫ぶ幼児が棲んでいる。
すなわちポーノグラフィとは、その乳房をふたたび獲得しようとする、
果てしない、限りなく繰り返される努力にほかならない。
「彼」(ポルノグラフィ作者や登場人物や読者)は、この事態(現実世界に
居る、つまり、自分の思うがままには決してならない世界に自分が居る事態)
を一つの悪意、いわば宇宙的な不正として認識するからである。したがって、
「彼」の作品は、しばしば世界、および女性に対する復讐にほかならない。………
(ポルノグラフィの世界は)現実のなかで性的でないものを
すべて排除し、一方で、現実のすべてを性的なものへ収斂してゆく
――こうしてポーノグラフィは一つの詩に似てくる。
(中田耕治「ポーノグラフィの美学」)
参考作品(amazon)
ブラックサイク「ゴア・スクリーミング・ショウ」
澁澤龍彦(編)「血と薔薇 コレクション2」(ポーノグラフィの美学)
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ゴア・スクリーミング・ショウ −スティーヴン・キング−
ゴア・スクリーミング・ショウ公式サイト 「ゴア・スクリーミング・ショウ」(amazon)
ゴア・スクリーミング・ショウ、ファーストプレイで深園希衣佳シナリオクリア。
いやあ、面白かったですよ!!まだ希衣佳シナリオクリア時点で達成率19%なので、
こんな面白いゲームが今プレイしてきたのの四倍もの未踏の踏地があるかと思うと、
もう、嬉しくてわくわくしてしまうところ。1/20は「いじケア」も買ったんだけど、
先にプレイを始めたゴア・スクリーミング・ショウが面白すぎて手を付けられない。
私はどんなゲームでも初回プレイは自分の意志のままに選択を選んでいくのですが、
そうしたら普通に希衣佳シナリオをハッピーエンドクリア。本作はホラー作品
として恐怖を煽るシーンはもちろん上手く描けていますが、最も大きいのは、
恐怖と絶望の状況のなかでも、信頼関係や愛情関係を忘れないということを描いて
いることで、最後はその信頼や愛情が、深い傷跡は受けたにしても、主人公と
希衣佳の二人を救う。スティーヴン・キングの諸作品に凄く読了感が似ている。
私はキングが大好きで邦訳された作品を、私の知る限り、全著作読了しておりますが、
きっとこの作品の作者さんもキングが大好きなんだなあと、プレイしてて感じた。
キングって、勿論、後味が悪いだけの作品もありますが(それらは特に初期短編
に多い。「ジョウント」の後味の悪さなんて極めつけ)ただ、キング作品の基軸
となる長編の多くは、色んな超常的な恐怖と絶望のなかでも、主人公やヒロインが
決して諦めずに、一生懸命生き抜こうとする、そして最後は、信頼や愛情という
光としての力が、恐怖や絶望という人間を食らい尽くそうとする闇の力に勝利して、
主人公やヒロインは深い傷跡を受けながらも、生還する。彼らはその出来事で、
人間的に成長を遂げているというのが物語の基本的なセオリーなんですね。
この物語も、そういう感じで…、表面的にキングの影響を受けていることはもちろん
感じられるけど、ただそれだけではなく、もっと物語の深い部分、根源的な部分で、
キング的な、恐怖や絶望、不幸に打ち勝つ人間の信頼や愛情というものを描いていて、
その辺が、私は凄く良かったなあ…。私は、そういったところが、凄く好きなんだ(^^)
ゴア・スクリーミング・ショウの物語のベースは基本的にキングの「IT」なのですが、
希衣佳シナリオにおいては、「もし今のスティーヴン・キングがキャリーをリメイク
したらこういう感じかな」という印象を受けたシナリオで。希衣佳シナリオは、厳格で
性に抑圧的な母親に育てられた希衣佳は、なんでもこなせるおしとやかで落ち着いた
優等生ですが、彼女の意識の深い部分では、性的な欲望を徹底的に抑圧していて、
心が非常な不安を抱えているのですね。彼女はまだ幼い頃に、鉄棒をしていて始めて
性的な快感を感じ、そのことを母親に話したら、何がなんだか分からないうちに母親
から酷い折檻を受けたことがあって、自身のなかの性的な欲望に酷い罪悪感を抱いている。
そんな彼女の弱さに、「IT」としか呼びようのない、超常的な邪悪な存在「ユカ&ゴア」
が精神攻撃を仕掛けてくる、(ここがキングの「IT」のシーンオマージュになっていて、上手い!)
だが、主人公と希衣佳の絆は二人を助け、二人は恐怖と絶望を乗り越え、日常へと復帰する。
ほんとに、上手いなあ。キングのオマージュとして、そしてホラー作品として、
第一級の作品だと思いますよ。クライマックスとか、内面描写を描きすぎない
ことによって、より深い味わい、人間の心の希望を描いているし、凄く良かった――。
もし、ゴア・スクリーミング・ショウをプレイされて、まだキングの「IT」を読んでいないという
方がいらっしゃいましたら、ぜひ一読をお勧めしますよ。よりどちらも、楽しめることかと(^^)
これ(IT)は、幼年時代についての物語でね、人は自らの幼年期を再体験
することでようやくその影響から脱却し、自分の子供の成長を目にすることで、
悔いを感じることなく大人へと成長するのだ。という考えにもとづく内容。
まちがっているかも知れないが、僕はそう思っているんだ。
(スティーヴン・キング)
参考作品(amazon)
ブラックサイク「ゴア・スクリーミング・ショウ」
スティーヴン・キング「神々のワードプロセッサ」(ジョウント)
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夏目漱石 −先駆者−
美の巨人たち公式サイト「ウィリアム・ホガース」
テレビ東京の「美の巨人たち」でイギリスの風刺画家、ホガースを夏目漱石の「漱石日記」
の中のホガース評を追ってゆくかたちで取り上げていましたが、とても面白かったですね…。
夏目漱石はホガースの絵画をとても好み、その絵画は漱石に多大な影響を与えたと云われて
おりますが、ホガースはほんとに、身に染み入るような、風刺画を書くんですよね・…。
ホガースは産業社会化が進み、金銭が全てを支配し人々の人心が荒廃して行く様を、
極めてユーモアに富みながらも辛辣で真っ直ぐな筆で描き出した人で、バブルの崩壊や、
富者がやりたい放題する傍ら、貧者が悲惨な状況で破滅する様などの、まさに現代的、
この日本の今的な状況を描き続けた風刺画家です。その絵画は深い洞察で裏付けされている。
今の日本って、本当に漱石が留学した頃のイギリスみたいですよ。貧富の差の拡大、資本主義
の完全なる支配。すなわち、全てが金によって支配され、人間の想いは荒廃し破壊されてゆく…。
夏目漱石は、イギリスに留学し、近代化し、産業社会化し、それこそ当時の世界の最先進国、
最も富裕な国であったイギリスにおける人心の荒廃、自然の消滅というものを見、衝撃を受けた。
(外部の自然、そして自らの自然に対する)想像力を変質させ、枯渇させる産業化とはまさに
人間同士を競争させる原因であります。近代社会とは競争社会の別名といってもよい。………
今日の気狂いじみた受験競争のことを考えてみなくても、競争原理に駆り立てられて
しのぎを削りあう人間が、次第に孤独になってゆくことは否定しがたい。これは
人間の意識の底の方でおこる変化、つまりあの想像力の変質とよく似た変化であり、
眼にみえないからといって少しもその深刻さを減殺することができない変化です。………
少し誇張していうなら漱石は1900年代の英国ですでに1970年代の日本を経験していた
ともいえます。外面的にいえばスモッグその他の産業社会のマイナス面、内面的に
いえば人間と人間の間の絆を断ち切り、社会を有機的なものから無機質化してゆく
巨大な動きのなかに漱石はロンドンでにわかに投入されてしまった。………
作家になった彼(夏目漱石)は日本の近代化の強烈な批判者として終始しました。
つまり外圧に対応するために推進されてゆく近代化のなかで、人間がいかにつまらない
人間になってゆくか。その内面が崩れて知らぬ間に孤独になり、孤独である痛みすら
忘れた荒廃に陥っていくか。その結果、人間同士の利害を超えた結びつきがいかに
決定的に失われてゆくか。「三四郎」のなかにでてきますけれどもしょっちゅう
あっちを掘り返したり、こっちを壊したりしている東京でどんなふうに自然が
破壊されているか。そういうことを彼はただの冷たい社会評論家としてではなく、
同じようにそういう時代を生きている一人の文学者として書き続けた。………
彼は当時の日本社会にひそんでいた、そしてロンドンではすでに顕在化
していた問題に直面し続けたといえます。だからこそ、彼の文学の問題は
最初に申し上げましたとおり、現代に生きているのです。
(江藤淳「漱石と現代を結ぶもの」)
夏目漱石は幼少の頃は元々漢文学を好んでおり、古典漢文学の極めて優れた教養を持っている
人物ですが、その後、自らが日本の英文学の旗手になるという野望を抱いて、近代英文学の
猛勉強を始め、実際にその当時の日本における最高の英文学者となりますが、しかし、
漢文学→英文学と学んでいった漱石を打ち据えたのは、近代英文学の絶望的な、人間らしさ…。
古典漢文学が大いなる自然という美しいもの、非人間的であるがゆえに美しいものを描けること
に比べ、近代英文学の多くは人間的なものを描く、人間という存在はそれを真摯に描けば描く程、
どうしようもない絶望的な存在であるということを近代においては明らかにしてゆかねばならない。
非人間的なもの、人間を超えたものは美しく、近代の人間的なもの、あまりに人間的なものは
醜い。この醜さの中を生きて行かねばならない人間という自他の存在と向き合うとき、存在性の
根源というものに触れて行く――夏目漱石はその根源に触れえ更に表現した稀有なる文学者。
まさに日本の今も、この根源に触れえる状況にある、そういった不幸な状況にあると思います…。
この国(イギリス)に行って「西洋」にぶつかった漱石は、これは昨年の講座でも
お話しましたし、そのほかあちこちにも書きもしましたので、繰り返しませんが、身を
持って近代人というものが孤独な個人として生きるほかはないということを発見しました。
この発見は漱石を酷い神経衰弱に追いやった。そこから彼が書くことによって立ち直って
いったのは、すでにお話したとおりです。近代人には自分を超えた価値などはない。
人は各々のエゴイズムをかかえて寂しく生きるほかない。そういう近代人、
心ならずも孤独きわまる「個人」というものになってしまった人間にとって、
それならいったいどこに救いがあるのだろう。これが僅か11年の短い、
しかし異様に充実した作家生活を通じて、漱石が一貫して問い続けた問題でした。………
漱石も鴎外と同じように、深いさみしさを抱えて一生を送った人でしたが、彼は(鴎外の
ように)あきらめて自分の寂しさのなかにこもってしまうことがどうしてもできなかった。
どうして自分はこんなに孤独で、寂しくなくてはならないのか。自分のすぐわきには
細君というものがいるのに、どうして心が触れ合わないのか。なぜこんな不条理な
ことになっているのか、といって漱石は怒っている。彼にはもう(鴎外の持っていた)
「形式」というような逃げ場はないのです。こういう怒れる漱石の姿は、人間的な、
あまりに人間的なものです。それほどに彼が行き当たった孤独な「個人」というものは、
逃げ場のないところに追いつめられていた。そういう人間になってしまうのが近代人の
宿命だということに、私たちはこの頃ようやく気がつきはじめたようです。
(江藤淳「鴎外と漱石」)
参考図書(amazon)
夏目漱石「漱石日記」
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ゴア・スクリーミング・ショウ!!
ゴア・スクリーミング・ショウ公式サイト 「ゴア・スクリーミング・ショウ」(amazon)
昨日買ったゴア・スクリーミング・ショウを寝る間も惜しんでプレイ中………。
めっちゃ面白いよ、これ!!\(^^)/
物語は完全にスティーヴン・キングの「IT」のオマージュなんですが、私が
これまで読んできたオマージュ物の中で間違いなく最高の出来栄え!!
なんというか、シナリオ自体の出来も勿論良いんですが、素晴らしいなと
感じるのは、シナリオの構成が極めて上手く、ぐいぐい次へ次へと引き込まれる
とともに、物語に一種のテンポ感、プレイヤーを引き込むリズムがあって、
まったく負荷を感じることなしに、すらすらっと物語の中に入り込めて、
その物語に没頭できる。まだクリアまでは到達していませんが、五時間ほど
プレイした限りでは、間違いなく傑作の予感がする素晴らしい作品です!!
この文章を書きながらニコニコ(^^)して、ブラックサイクのHPに行ってみたら…
■
アップデータ ■ (2006/01/20 Lastupdate)
【「ゴア・スクリーミング・ショウ Ver.2.00」の主な修正点について】
・演出の追加と修正
・シナリオの進行によっては、いくつかつじつまの合わなくなる場合があった部分を修正
・その他、誤字脱字等の修正
※アップデータ以前のセーブデータは使用できなくなりますのでご注意下さい。
………。………五時間分のプレイをやりなおしですか………orz
まあ、面白い作品なので、またやりなおすのもそれほど苦痛ではないけどね…。
参考作品(amazon)
ブラックサイク「ゴア・スクリーミング・ショウ」
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ライブドアと報道 −TVの中の虚飾の世界−
ライブドアグループが企業犯罪の疑惑により凄い勢いで崩壊していますね。
私はライブドアグループのことを日本で最も信用できない企業グループと前々
から考えておりましたし、グループ総帥の堀江貴文社長のことも評価しては
おりませんが、それでも、昨今のマスコミの報道を見ると、報道における
ライブドア及び堀江氏バッシングに対しては、なんというか不快感を感じますね…。
実業を持たず実際的な経済実体のない虚飾の企業であるライブドアの株価を
高騰させてきたのは堀江社長がマスコミの前面にでて、様々なセンセーショナル
な話題をマスコミに振り撒くことでライブドアグループの知名度や印象を国民の
間に高め、それによって実体としての企業とは関係のない仮想的な株価を
次々と吊り上げてきた訳じゃないですか。マスコミが堀江社長やライブドア関連
のセンセーショナルな話題作りの為のパフォーマンスを面白おかしく報道する
ことによって、実体と離れて株価が上昇してきた。株価上昇と堀江社長の
TVタレント的活動、それを支えてきたマスコミとの間には明らかに因果関係が
あるのに、それら堀江社長とライブドアを支えてきたマスコミの姿勢を一切省みる
ことなく、急に掌を返したように梯子を外して堀江社長・ライブドアバッシングに
走り出した各民放TV局に対しては、堀江社長やライブドア以上の不快感を感じる。
地検の捜査によるとかなり重篤に悪質な企業犯罪(粉飾決算等)の容疑がライブドア本体
に掛かっており、おそらく上場廃止は逃れられず、上場廃止になった時点で、西部鉄道
やカネボウとは違い、ライブドアには実益を上げる実体的な生産機構は何もないことから、
企業として終わりなことは目に見えておりますし、それはそれで、時価総額のみに頼った
実体のない企業が企業犯罪に手を染めた時点で結末は決まっていた仕方のないことと
思いますけど、それにしても、ライブドアが消滅したとしても、マスコミのこの無自覚、
ライブドアの片棒を担ぎながら、ライブドアの企業犯罪が暴かれた瞬間、片棒を担いで
いたことをすっかりと忘れ、今度はライブドア叩きに走り始める、この酷さ…。あまりに酷い。
日本のTVマスコミがセンセーショナルに阿ね、そして自らの放送を全く省みずに、
ただ梯子を掛けて昇らせては、梯子を下ろして突き落とすような残酷なことを
やり続けている限り、再び、ライブドアのような虚飾の企業が現れてマスコミに
センセーションを振りまいて虚飾の世界を作り上げるでしょう。そしてそれは、
日本国、日本国民にとって、酷い不幸、悲しむべきことだと私は思いますね…。
センセーショナルであればあるほど、マスコミが注目して、そこから利益を挙げる
というシステムは、やはり、非常に問題がある。このシステムをマスコミが改める
気は全くなさそうですし、やはり、マスコミに取材を受ける側、企業のTOP、政治家
のTOPという人たちが、きちんと、自己を律していかねばならないと私は思います。
企業家は、企業経営に専念するのが本道、政治家は、政治に専念するのが本道。
それらの人が大衆受けを狙ってマスコミと組んでセンセーショナルな話題作りに奔走
することは、企業にとっても、国家にとっても、由々しき危険である、そのことを、
マスコミから情報をたえず流されている私たち自身も、ちゃんと自覚していなければ
いけないと、自戒を込めて、強く思います。それができなければ、本当に危険だよ…。
私の好きな政治家に勝海舟がいるんですけれど、彼のエピソードをご紹介。
勝はそれ(福沢諭吉から送り付けられた批判文「痩我慢の説」)に
対して二行ぐらいの短い返事を書いた。どういう返事かといいますと、
『毀誉は他人の主張、行蔵は我に存す。
我に関せず、我とかかわらずと存じ候』
それだけなのです。どういうことかというと、やったことが正しいとか悪い
ということは、世間の評判に過ぎない。しかし行動をした主体は自分だ。
おれは好きなように、自分の良心と信念に基いてやったんだ。つべこべ
いっても、おれは知らんぞ、とこういったのです。この挿話を思い出すたびに、
私は政治的指導者(勝)と教育者(福沢)の、微妙な、しかし超えがたい
相違を思わないわけにはいかない。それは実行家の責任の取り方と、
教育家の人間に対する理想、ほとんどデマゴギイと紙一重の理想との
差である。勝は政治が力だということを知っていた。また彼は自分の卓越した
能力についても十分に自覚していた。自分のような能力者が、力の一端を
つかんでいないでどうして近代国家をつくり上げることができようか、
いや、どうして幕臣の叛乱を未然に防ぐことができるか。
福沢ごとき一知半解の徒が、しかも政治の渦中から身を引いている
単なる口舌の徒がなにをいうか、勝はこう思ったに違いない。彼はよく
「無功亦無名」(功なくまた名もなく。功名を求めないということ)と
いいました。また「辛苦経営」ともいいました。維新以後の彼の後半生は、その
卓抜な目測を生かし、情熱を傾注して、近代国家日本への責任をとりづつけた
後半生でした。マックス・ウェーバーは、政治的指導者が決しておかされては
ならない悪徳として、虚栄心というものをあげています。つまり自己顕示欲で
あります。「無功亦無名」の勝は、おおむねこの悪徳からは自由でありました。
(江藤淳「転換期の指導者像」)
ここで描かれる福沢は、まさに現代マスコミに通じる、行動せずに影響力だけ
を持つ教育者的存在ですが、現代において、そのマスコミに対して、福沢に対する
勝のように、毅然とした態度を取れる企業家や政治家がはたしていくらいるか。
私はそれを思うと暗澹とした気持ちになるのですが、責任の一端は私も含めた国民
の一人一人にもあるのであって、マスコミのセンセーショナルな情報や、それに乗り
踊っている企業家や政治家といった本来的に実務者でならなければならない筈の
人々に対し、もっと意識的な目測を持って対応するようにしなければならない。
少なくとも、マスコミに社長がTVタレント的に露出しているからその社長の
会社の株を買うなどという最大に愚かな行為は、その行為が愚かであると
きちんと分かっていて、あえて自覚的に愚かな営みとして為すのならともかくにも、
ただTVに流されてなんとなく惰性で買うようなことだけは、決して行うべきではない。
彼ら(企業家や政治家)だけに自己を律することを求めるなんてことはできない。
もしそれを求めるならば、自らをまずは律しなければならないと私は思います。
私の心を惹きつけるのは、愛されなくても、悪口をいわれても、少しもたじろく
ふしのない海舟の強さというか、甘えのなさである。この強さはいったいどこから
やってくるのか?そこにはすねている形跡もないし、居直っている素振りもない。
つまりそこには、近ごろ流行の”怨念”(ルサンチマン)――甘えの裏返しとして
噴出してくる女々しい怨みというものが、毛筋ほどにもない。それでいて、
海舟が余程そっけない、冷たい一方の男かといえば、決してそうではない。………
どうしてこのような、強く柔軟な精神が生まれることができたのか。
そう思って、海舟の書きのこしたものを色々と読み漁り、その「行蔵」
の背景を探るうちに、私は次第に彼がこうしてしゃんと立っていられたのは、
慶喜も明治天皇も、いわんや福沢も見たことのない”地獄”をいつも
見ていたからではないか、と思うようになってきた。
この地獄は、もとより、なんとか峠に地獄を見た、という調子の、
抒情的な地獄ではない。なにひとつ完結するものがなく、
しかもすべてが緊密にからみあった重層的な構造をなしていて、
それをたえず動かし、かつそれに動かされてしなければならない
という、政治的人間の背負わねばならぬ”地獄”のことである。
いや、政治的人間だけではない。人間はすべてそういう”地獄”を
背負わされているのだが、そのことを認めるのが恐いので、
いろいろな歌を歌ってしまうのである。たとえば、江戸城の開城は、
海舟と西郷の腹芸で決まったのだというような。あるいは、人は
「痩我慢」をするのだというような。私は、福沢諭吉の用いた「痩我慢」
という言葉の「痩」という字が気に入らない。そこには得もいわれない
ベタつきと、隠微な甘えとが込められているからである。
「痩我慢」などする必要はない。ただ人は「我慢」すればよいのだ。
そうすることが人をふるい立たせるとすれば、それが「我慢」すること
のなかに、おそらく人の到達し得る最も正確な認識が秘められていて、
その認識が心をいつも躍動させるからである。海舟はさしづめ私に
こう語りかけている。人間が一人で、周囲が地獄だとしても、
なにをおどろきあわてることがあろう。だれもがそう生きているのだが、
お前はそのことを識っているのだから、と。
(江藤淳「勝海舟」)
参考図書(amazon)
江藤淳「江藤淳文学集成 第3巻」(勝海舟、転換期の指導者像)
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窮して志を述べる −表現と希い−
書くことは、それがどんなに取るに足りぬものであれ、一年また一年と生きながら
える助けになったからであり、さまざまな妄執も表現されてしまえば弱められ、
ほとんど克服されてしまうからである。書くことは途方もない救済だ。
(シオラン「オマージュの試み」)
finalventさんのエントリを読んで、江藤淳の「若い批評家の信条 −窮して志を述べること−」
を思い出す…。こういった、人間の精神の自由を認識し意志と為すことを真摯に自らの営みとして
受け止めようとしている人には、私は深く心打たれ、尊敬する思いが湧くよ――。
私は江藤淳を日本の最も優れた文芸批評家だと思っている、彼を心から尊敬していますが、
「若い批評家の信条 −窮して志を述べること−」はその中でも特に凄く好きな文章で…。
少し引用して皆様にご紹介致しますね。引用元は「江藤淳文学集成 第四巻」より。
「司馬遷」の著者、武田泰淳氏は、《窮して志をのべる》ところに文学の意味
を見出した。《憂愁幽思、心憂え物思う、ただその為であった。歴史的事実
としてみれば、まことにはかない事実である。一つの心理、一つの影に過ぎない。
しかし司馬遷は、ここに『文学』を認めた》と武田氏はいう。
だが、憂愁幽思すること、《窮して天を呼び、苦しんで志をのべること》、なにも
文学者の専売特許ではなく、作家、詩人の専有でもない。真に《窮して天を呼ぶもの》
がたまたま文学をつくりだす。心憂え物思い、《憤りを発して》ほとんど死のうと
するのはもともと人間の本性からでた行為である。なぜ窮するか。それは彼が実行を
断念しなければならぬ場所にいるからである。なにゆえに志をのべるか。しかもなお
黙して首を垂れるのをいさぎよしとしないからである。文学は挫折から開始された
行動によってなる、と私は書いたことがある。もとよりこれは別のことではない。
なぜそうするか。それ以外に、人間の精神の自由を立証するすべを知らないからである。
だから、文学は風流韻事でもなければ、政治、社会、などのもろもろの価値と無関係な
別天地でもない。人間の本性に発し、他の価値から切りはなしがたい行為である。
ここに文学者、大工、農夫の区別はあるまい。特別の約束事、作法、形式などは、
知的俗物ならいざ知らず、文学者にとっては本質的な価値ではなかろう。
《苦しんで志をのべる》とき、作法はおのずからなり、約定はおのずから超えられる。
なぜなら、それはひとりの人間が自分の存在を証拠立てようとする肉声の叫びだから。
批評家にとってもこれはまったく同様である。批評家であるより先に、私は
ひとりの人間であるにすぎない。《憂愁幽思》《窮して志をのべる》以外に、
私がどんな批評の方法を知っているだろうか。実行を重んじ、現実に屈服し、
挫折と敗北をひとしなみに視るものにとっては、私の声の如き、武田泰淳氏
のいうように、《一つの心理、一つの影》にすぎないものだろう。作家に
とってその作品が空の空たるイメイジからなるように、批評家にとってその
論理は空論以上のものではない。それは畢竟空論をいくばくもでることはない。
しかし、この空論に生命を与えるものは批評家の《憤りを発する》ことの深さである。
これを、人間の精神の自由を立証しようとする願いの深さといってもいいだろう。
彼は自分の憤りを、自分以外の人によってわかちもたれることを望む。彼が駆使する
論理は、自分の志をつたえようとする希いによってなった手つづき、彼が他者に
さしのべる手である。誰がその手をとり誰が彼の憤りの深さを測るだろうか。
それを批評家は予知するすべを識らない。ただその論理をいよいよ包括的なものにし、
その怒りをいよいよ深めるのが、彼のなしうるすべてである。その論理がひろがれば、
批評家の視野は文学を遠くにこえて芸術一般をのぞみ、さらに日本人の行為に束縛を
与えているものはなにか、発見するだろう。その願いが深まるにつれて、彼は逆に
人間の存在の奥底に澱む暗黒の恐しさをまざまざと視るだろう。最初に発せられた
小さな叫びは、論理によって増幅され、やがて彼の耳を聾せんばかりの音響に
ならずにはいない。だが、それが彼以外のひとびとの耳に届くと保証するものは
なにもありはしない。これをばかばかしいといえばそれまでである。
ばかばかしいことははじめから判っている。なぜなら批評家は自らの
《憂愁幽思》を空論によって表現する以外に芸がないのだから。
空論だから意味がないというのは常識の立場である。しかし私はあえて
空論なるがゆえに意味があるといおう。すでに誰が聴いているかもさだか
ではないのに《窮して志をのべる》というのが、批評家に裏切られっぱなし
という経験を与える。橋をかけたり、道路を造ったりという実行を断念している
という点で、彼の行動はものの役に立ちそうにも見えない。たとえてみれば、
このような批評家のイメイジは賽の河原の亡者に似ているだろう。
見苦しいから引き下がるがよい、金がもうかるわけでもないし、といわれて
それに順えば、これは「諦め」という日本古来の美徳を守ることになる。
そうはさせないものが執念というものであって、不幸にして私は執念深さ、
引けぎわの悪さ、見苦しさの価値を信じるがゆえに空論を弄している。
なぜそう信じるかと問われれば、人間の歴史というものをかたちづくって
きたのは、ほかならぬ《窮して天を呼び、苦しんで志をのべ》ようとする希い
だからだと答えるほかはない。空論が現実を変え、さらにその現実によって
復讐されるという運動のなかに、私が自分にとってもっとも切実なものを
見出しているからといっても同じことである。
(江藤淳「若い批評家の信条 −窮して志を述べること−」)
私は長い月日を掛けて読んできた「江藤淳文学集成」をつい先日、全巻読了
したんですが、本当に江藤先生には、教えられることばかりで…。江藤淳の
文章は凄く実感が込められた深い誠実さがあって、読んでいて、身に染み入る…。
そんな江藤淳の文章のなかでも、私が一番好きで、一番教えられ、一番助けられ、
一番身に染み入ったのが上の「若い批評家の信条 −窮して志を述べること−」
という文章ですね…。私も、凄く、想いに通じるものを感じる…。
表現するということは、凄く辛いことでもあって、「表現するな、引き下がれ」
という軋轢は外部から常に掛かっている。それでもどうしても、心から表現したい
と思ったことを表現してしまう、それは「《窮して天を呼び、苦しんで志をのべ》
ようとする希い」としか云いようのないもの。それは諦められないもの、表現をすれば
するほど、「逆に人間の存在の奥底に澱む暗黒の恐しさをまざまざと視る」ことに
なりながらも、どうしても表現という営みを行おうと意志するのは、それは希い、
世界を、信じたい、人間を、信じたい、という希いが、私を支えているからだと思う。
もしも、全てに絶望したら、人は何も書けなくなってしまう。表現すること、
なにかを書くということは、その人間の希望であると、私は実感として思うよ。
参考図書(amazon)
江藤淳「江藤淳文学集成 第1巻」(在庫切れ)
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続・アリスソフト三昧 −秋葉散策編−
「ALICE SOFT HOME PAGE」(公式サイト)
いま、私は、最初の「詩」が生まれた瞬間のことを想像する。それは最初の
詩人が、自らの周囲に充満している「神話」を意識し、それを自らの言葉に
よって、ムーサイの言葉としてのみではなく、語り始めようとした瞬間の
ことである。このとき、「神話」は呪縛をかけるものではなくなり、
人間の支配のもとにおかれ、人間の存在の証明となることができた。
(江藤淳「神話の克服」)
先ほどFateのアニメ第2話を見、セイバーの登場シーンでゾクゾクしてしまいました…
すげえ、すげえよ!!このアニメ、メッチャ出来がイイッ!!うはっ!!
…あれ…タイトルと文章が全然違いますね(爆)
タイトル通り、最近エロゲ新作が全く出ないので、アリスソフトの古い作品
ばかりプレイする日々が続いておりまして、今日(1/18)は久々に秋葉に
でてアリスの「闘神都市U〜それから」を買いに行ったのですが……………
………あれ………?
予算3000円の筈なのになぜ俺は二万近く買い物していますか???
ああ…秋葉原は、お金をいつのまにか吸い取ってゆく魔の都だ!!←意志薄弱なだけ
という訳で、本来の目的をすっかり忘れて散財してしまいました…
最近、お腹が空くとカレーワンタンの味が味雷に甦る恐るべき状況なので、なんとか
したかったのに…散財し過ぎでこれからも当分カレーワンタンぽい状況だ!!
ちなみに、最初はエロゲ中古屋さんにちゃんと行ったんですよ。しかし、
そこで「闘神都市U〜それから」は売っておらず、あれ…なぜか店から
出てきた時には「アリスの館7」を持っていました…あれ…俺の身体が
意志に反して勝手にエロゲを買ってしまったああああ!!!←末期症状
ちなみに「アリスの館7」は1980円でした。「アリスの館」と聞くと、中古屋で
それこそ一万円を超える値段が付いていた高額商品(アリスの館4・5・6)という
感じがあったのですが、「アリスの館7」は中古在庫が余ってるみたいで1980円
というかなり安い値段で驚きましたね。ちなみにアリスの館7の隣で売っていた
「20世紀アリス」は980円だった…、涙を禁じえない!!(^^;
余談ですが家に帰ってきてから封を開けたら、ウルトラ魔法少女まななが、
ビニールパッケージの封を開けてない状態でした。前の持ち主はまななを
プレイすることなく中古屋さんに売ったんだ…勿体ないことする人いるなあ…。
秋葉原にはエロゲに付いてくる各店舗独自の限定サービス品の為に、色んな
店舗で同じエロゲを買って、ダブったエロゲを未開封のまま中古屋さんに売る人が
多くて、中古屋さんに未開封中古エロゲがごろごろしているけど、ああいうの見ると、
ほんと、世の中、お金のあるところにはお金があるんだなと、羨ましいです…(^^;
まあ彼らのおかげで新作ソフトが発売日にすでに未開封中古として、普通に買うより
1000〜2000円くらい安い値段で買えるので、私的にはありがたいことですが…。
その後、秋葉のお店を回っていましたら「Gシスター」と運命の出会いをしまして――
「そんな愛らしい小さな足先で悪戯されたら、もう……」
こんな表紙を見ちゃったらロリマゾとして買わない訳にいかないじゃないですか!!
という訳で、Gシスターを買って(1500円)、そしてロリエロコミの「炉娘萌」
と「膨らみ始めたエッチな年頃」とロリエロコミ誌の「少女天国」も一緒に買って、
そしてその後…、エロゲアニメ「夜勤病棟・参 Experiment.2」を買ってしまいました…
私はエロゲアニメはだいたいレンタルビデオ屋さんで借りて、それで済ましている
ことが多いんだけれども、このアニメだけは、どうしても欲しい作品でして…。
最初レンタルで見て、あまりの女神ぶりに感動のあまり泡を吹いたほどの作品なのです!!
このアニメは我が愛するご主人様、ロリ女王様のひより様が大活躍される作品でして、
…ああ、アニメのひより様もゲームと同じくマジで神、偉大なる女神様だ――!!!!!
とにかく、ひより様がロリ女王様として、主人公を責めまくる話でして、ロリマゾ
なら必ず買うことを強くお勧めする。ロリマゾ的には、まさに神々しき逸品ですよ!!
こうしてたっぷりと散財した後、新宿にも寄って「血と薔薇 コレクション」の第二巻と
第三巻を購入しまして、大満足して帰途へとついたのですが…電車のなかで思い出した、
しまった、「闘神都市U〜それから」を買うのを忘れてた!!(爆)
という訳で、本来の目的をすっかり忘れて大散財してしまった訳ですが、
まあそれはそれとして、さっそく「アリスの館7」の各ソフトをインストール
しまくってプレイ。もちろんまななもインストールしましたよ(^^)
そして今、アリスの館7の音楽CD「アリスサウンドコレクション7」を聴きながら
この文章を書いているんですが、いやあ、やっぱりアリスの作品はイイですね!!
こうなんというのかな…これはエロゲに限らず、大体の芸術作品というのは、
作品が作られていくうちに次第にお行儀の良さみたいのに回収されてゆくところが
あって、作品自体が持つ不条理で不合理でなおかつ圧倒的な生命パワーみたいな
ものがだんだん初期の作品に比べると次第に磨り減ってゆくところがあるんだけど、
アリスソフトはその作品生命の力、芸術における「血と大地」の力とでも云うべき
ものを、知性の力で手綱をしっかりと握った作劇法によって、上手く飼いならして
昇華しているところがあって、これは、なかなか他のソフトハウスには真似の出来ない
ところだなと私は思いますね。昔のエルフなんかもこの辺が上手かったけど、最近は
ちょっと手綱の締め方が甘くなっているところがあるかな?私はエルフ作品は昔も今も
大好きだから、アリスだけじゃなく、エルフにも頑張って欲しいなと思いますね。
要するに「神話」(不条理で不合理な自然の根源的力)を恐れて、文学作品が
日常的な、しかも形骸化された「規範」――文学以外の「規範」によりかかろう
としはじめるとき、その作品はすこしも面白くなくなる。世の中には真面目な
作品や善意の作品というものがあって、それらはわれわれを安心させたり、
自己満足的なイメージを与えてくれたりするが、そのような作品は結局面白くない。
そして面白いのは、逆に、人間が残酷で、淫猥で、おおむね悪意であるにも
かかわらず、そのことを自ら意識している、ということであろう。そしてさらに、
残酷な、淫猥な、しかも官能的なものはおそらくあの「神話」そのものに根ざしている。
人間が(不条理な)「神話」からのがれえたというのは錯覚であり、われわれの血の
なかにひそんでいるあの「死」の思想のメタフィジック――すべてのロマンティシズム
の「もと(アルケー、根源)」であるあのメタフィジックはおそらく永遠に死ぬことがない。
(江藤淳「神話の克服」)
昔のニトロプラスの作品とか、この「死」、「血と大地」のダイナミックなエネルギー
がそのまま噴出していてとても面白かったんだけど、アリスソフトは更に捻ってあって、
良い意味で散文的な知性が、その「血と大地」の力を人間的な技巧の世界と婚姻させている。
それが凄く面白くてね…、三島由紀夫の小説なんかと似通うとこがあるかなと私は思う。
最も根源的な場=死=自然へ常に近接しようとする意識の芸術である限り、
それは形骸に堕すことなく、芸術としての神性を輝かせ続けることができる。
アリスソフトは意識的にその芸術性を持ち続けようと欲する場のあるソフトハウス、
他のソフトハウスもその芸術としての神性を持ち続けることを欲することを願うよ――。
さらに重要なことは、あらゆる文学作品がなんらかの意味で、「詩」との関係を
持たないでは無力だということである。さらに「詩」は、どれほど高次の抽象が
行われるとしても、「神話」から生まれないことには無力だということである。
文学作品は、そのなかにどれほど危険なメタフィジックがかくされていようとも、
「神話」の原始的衝動に似たなにものかをとらえられないとき、形骸に堕落する。
このことは、いままで引用してきた三人の作家の異常な魅力からも証明できること
であり、さらに、近代主義から出発した人々のうちで、非合理的な「自然」や
「神話」の声に耳をかたむけた人のみが、依然として旺盛な仕事を続け、
「薄皮」でない作品を発表しているという事実からも証明できることである。
(江藤淳「神話の克服」)
参考作品(amazon)
アリスソフト「アリスの館7」
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